佐渡/BPO定期公演雑感

佐渡/BPOの公演について書きこもうと思っていたら、友人のベイさんが、MIXIのつぶやきに、小生のつぶやきを引用して佐渡の公演を批評していたので、その事へのコメントをかねて、ブログに書くことにした。

ベイさんは、今回の佐渡/BPOの公演(ショスタコ5番)には、かなり批判的であったが、小生は期待が低かっただけに、BPOの指揮者になったばかりの初定期公演ということを考慮し、期待した以上に検討したと発言した。

定期公演の観客は相当手ごわいはずだから、佐渡も満を持して望んだのだろうが、後ほど言及するが、公演に先立ち彼は有る工夫をしていた。

ベイさんは、ショスタコ5番における佐渡とバ-ンスタインの類似について言及されていましたが、バンスタの初録音と2番手ではかなり違うから、初録音との比較でしたら、こういう小生のコメントになります。

「ショスタコ5番演奏で最も好きな、バンスタ/NYKフィルの初録音とは似て非なるものです。」

それよりも指揮ぶりがバンスタを真似ている所が見受けられました。
しかし、小生の印象は、「佐渡が所々でバンスタ譲りの、飛び上がるような指揮ぶりをを見せたのは、わざとらしい。」印象が強いです。

小生が「期待以上の良い出来」「演奏品目が寄与した」と、つぶやきに書いたことに対しての意味は以下のとおり。

小生は、手放しで佐渡を褒めたわけではありませんで、小生の期待が低かっただけに、「期待した以上の良い出来」であったといい、「演奏品目も寄与した」と言ったのは、聴衆のほとんどが初聴きの武満は、珍しい打楽器群の技と視覚で圧倒する所があるから、指揮の上手い下手はさほど関係なし

ショスタコ5番も楽曲の持つ起伏の激しさと、デューナミクスに富んでいて、ソロがかなりハイライトされるので、おっしゃるとおり、「オケ依存度が高い」曲なので、指揮そのものの評価は出にくいものと思います。

つまり音楽そのものがモノを言う曲だから、ほとんど誰がやっても、それなりのものが表出される音楽だとも言えます。

その意味では、曲想こそ違うものの、印象効果の観点からは、武満もショスタコも同じように括れる楽曲と見てよいでしょう。

佐渡は楽曲自体がモノを言うことを知っていて、これらの曲目を選定したのだと思います。(少し小賢しいが、こういうことも大事です)

ショスタコは、1.4楽章に目が行きがちですが、2.3楽章の扱いに着目すると、佐渡はまだまだの感は否めません。

ハッタリ気味ですが、終了後オケのメンバーに敬意を表する所や、愛想良く振る舞うことは、異邦人指揮者には必要なことでしょう。

パユが言う「佐渡はもっと自分の音楽を語るべきだった」の境地には、もう少し時間がかかるのではないか。

頑固な伝統のBPOですから、ましてや東洋人の指揮者ですから、まずは人間性を認めてもらい、信頼関係を造り、それからコントロール(自分の音楽を語る)に入るのが順当でしょう。

オケとの良好な関係を促進するのに、新コンマスの樫本大進の存在は、佐渡にとって強い味方だと思います。

オーボエのマイヤーがホルンだったかヴァイオリンだったかの女性と談笑しながら楽屋に引き上げるところが映されていましたが、もし演奏のことだとすれば、彼らにとってそんなに悪い印象ではなかったように見えましたが、初公演ですから、佐渡の指揮、団員も多分ご祝儀的に暖かくみたのではないでしょうか。

オケとの信頼関係が、まだ完全に構築されてない、最初の定期公演ですから、そして曲が曲だけに、これを持っての確定した評価は、まだ早いと思われますが、今後定番の曲目を演奏した時に、佐渡の本質がわかるものと思います。

モーツァルトやベートーヴェンあるいはマーラー、ブルックナーがキチント振れるか否かが見たいものです。
放送の後半、サイモンラトル/BPOのシンガポール公演でのマラ1は、佐渡の時と比べ、曲の性質によるところが大きいとしても、オケのハーモニーの部厚さが、違いすぎる印象を持ちました。

実力が認められていたラトルでさえ、BPOとの最初の公演は相当苦労したはずですから、佐渡は、なにをかいわんでしょう。

佐渡の今公演の影の狙いは、自分よりもオケをハイライトさせ、自分の指揮ぶりが表面に出にくくしたことにあったとの見方も考えられます。

最初に述べた「ある工夫をした」というのは、まさに自分の指揮ぶりを見えにくくできるような楽曲選定のことです。

これは大成功で、もしブラームスやベートーヴェンなどの定番楽曲をやていたら、BPOを聴き慣れているベルリンの定期の聴衆は、指揮の良し悪しをすぐに見抜いてしまうでしょう。

佐渡は今公演における楽曲チョイスの役割の重要さを知っていて、楽曲自らが演奏させる曲目、指揮ぶり云々に影響度が少ない楽曲をチョイスした。

関与度の低さを悟られないように、逆に言えば自分の関与度を上げるために、大仰な身振りが必要だったのでしょう。

初定期公演としては、「まずまず」というのが小生のレヴユーだ。

そして、真価が発揮されるであろう、次の公演の曲目・・・佐渡の次の一手が楽しみなことだ。

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by noanoa1970 | 2011-06-13 10:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by ベイ at 2011-06-13 12:56 x
>noanoa1970さま
佐渡 裕ベルリン・フィル評、よくわかりました。100%同感です。最初にしてはよく頑張った、という一言が自分のコメントには足りませんでした。小澤征爾ですら、ベルリン・フィルとはベートーヴェンはめったに振りませんし(若いときに勢いで振った7番は名演でした。)、ブルックナーも2番くらいしか振らない(今回はスクロヴァチェフスキが代役)予定でしたから、佐渡 裕がショスタコーヴィチを選び楽員に任せたのは賢明な策だったということですね。ベルリンでの批評は好意的でしたし、自分の評価は佐渡 裕に対して厳しすぎたかもしれません。次のベルリン・フィルの公演に呼ばれたら、佐渡 裕に対する見方が変わるかもしれません。それまでに(今回のことで名前を上げてチケットが取りづらいようですが)佐渡裕の生演奏を一度聴いてからまた判断したいと思います。。
Commented by noanoa1970 at 2011-06-13 17:10
ベイさん
小生、佐渡はあまり好きな指揮者ではないのです。
小生の中では、西本智実と同等程度にしか思っていませんでした。2人ともマスコミが大きく取り上げているのと、派手さも加わり、実力以上の知名度となってしまったようです。実力をさらにつけるためには、佐渡はBPOに固執しないで、ドイツの中堅のオケで、オケを育てる訓練とその過程での自らの成長を目論んだほうが良いのではないでしょうか。
同時期の、ラトルのマラ1を聞くと、オケの自在なコントロール具合がかなり違い、オケに任せるところと自分の意思を通すところがハッキリしているように見受けました。コントロールの差が音響に反映されているように思います。それに、暗譜で振れなかったほど佐渡は緊張したということでしょう。
最近のベルリンフィルは、東洋人の受け入れも抵抗がなくなったようです。勿論かつてコンマスを務めた土屋さんの努力は相当有ったと思います。樫本さんも相当頑張っている様子で、頼もしい限りです。現地の評判は総じて良いらしいですが、ご祝儀相場的な論調が多かったのではないかと推測してしまいます。

Commented by noanoa1970 at 2011-06-13 17:14
↑続き
バンスタのショスタコ5番の初録音を聞き直しましたら、終楽章のテンポと緊張感はまるで違うものの、かなり影響を受けたと思う所があります。
よって、小生の印象を少し訂正しておきます。

でも佐渡のこの曲の冒頭は、もっともっと緊張感が欲しかった。
しかし「革命」などという、最近のワケの分からない、ニックネームに依存しない演奏ではありましたね。
きっとかなり聴いて勉強したのでしょう。
Commented by ベイ at 2011-06-14 00:59 x
私も佐渡 裕は好きな指揮者ではありません。
あまりにもバーンスタインの名前をバックボーンに利用しすぎています。小澤征爾も大植英次もやはりバーンスタイン門下で、同じようなことはやってきたと思います。小澤征爾のリハーサル風景をドキュメンタリーで見るとバーンスタインと同じセリフを言っているところ(バルトークの「管弦楽のための協奏曲」)すらあります。佐渡 裕も大植英次も、解釈やらリハの進め方など、バーンスタインを師匠と仰いでいる以上たぶん真似しているところは多々あるでしょう。ラトルと佐渡 裕との間には雲泥の差があるでしょうね。ラトルの巨人、バーンスタインのショスタコ(1979年東京ライブ)まだ試聴していないので、できしだいコメントします。日付が変わった今日はネトレプコの来ないメトのガラコンサート、明日は新国立劇場の「蝶々夫人」、金曜日はメトのライブビューイング「ワルキューレ」、土曜日はハーディング&新日本フィルのブル8と、忙しい週になっています。