ドラティのハイドン交響曲を聴く

聴き始めは、最後の作品群からと決め、CDをひっくり返して、番号の古い順番にした。

d0063263_17325074.jpg
安価なのは良いけれど、ただ白い紙袋に入っているだけだから、CDの順序を入れ替えると、CD盤面から収録曲目の検討をつけるか、盤面横にある極小の番号を読み取るしかない。

交響曲の若い番号順に収録されているのが、まだしもの救いである。

老眼かつ白内障の小生は、こんな小さい文字は、裸眼では判読できないから、いちいちルーペを利用しなくてはならないので厄介だ。

CDの紙袋に、収録された交響曲の番号を書いておきたい気分だが、今はどうしようか迷っている。

輸入盤のBOXCDには、時々このような、検索に手間取るような不親切なものが多い。

薄緑色のジャケットの裏面に、白い小さな文字で何かが書いてあるが、文字が小さい上に、メリハリがないため、全く読むことができないものもある。
スキャナーを活用しても、読み取りにくいから実に困ったものだ。

コスト削減なのかとも思うが、どうもそうでもなくて、廉価盤で紙ジャケットだが、ペラペラの白紙でなく、何が収録されているか、わかるように印刷された少し厚めの包装紙に入ったものもあるから、結局は発売元のユーザーサイドにたった、ものの考え方であろう。

このハイドンBOX、とても安価だが、取り扱いに難点があるため、顧客満足度は決して高くない。

演奏がよければ・・と思いながら最初の1枚、№.32を聴いた。(33枚目は別稿楽譜によるもの)

CD32
・交響曲第103番変ホ長調『太鼓連打』 Hob.I.103
・交響曲第104番ニ長調『ロンドン』 Hob.I.104
・交響曲"B" Hob.I.108 変ロ長調

以上が収録されている中から、103番演奏の印象について、思うところを書いておく。

まずは、程良く調整完了後の音響装置での、音の印象からスタートするが、前回とかなり違うと思ったのが第1印象。

その違いというのは、以前聴くに耐えないほど、暴れん坊だった、バイオリンをはじめとする弦楽器群の音色が大幅に変化したこと。

音に艶が乗り、「音色」という言葉が無理なく使えるようにまでなってきた。
以前はざらついて尖っていて、金属・・・ノコギリのような音のバイオリンが、色艶が感じられ、かなり柔らかく聴こえる。

したがって、音楽の表情を感じることができ、薄目と少し強めのビブラートを、弾き分けているように聴こえ、その効用がよく分かるようになった。

出だしのドラムの強打音で、最初の音が一瞬ビリつくが、この頃のDECCA録音に、たまにある弱点だろうか、それとも音響装置のせいなのか。

それと、1971年録音というから致し方ない面もあるが、ゴロゴロという雑音を拾っている。
まるで調子の良くないプレーヤーのモーターの音を、板起しの際よくある、ピックアップが拾う音が入っているような音がする。

この雑音とも言える音が消されないまま、マスターリングしたことの意味はよくわからない。
技術的には可能なはずだが、あえてそうしなかったのか、そこまで細かいことは考えなかったのか、それとも電気的にいじるのを避け、あくまでもアナログの音の再現を狙ったものなのか。

小生は雑音そのものは気にならないが、都合が悪い音は削除する最近のエンジニアの傾向とは違うようで、そのままにした理由のほうが知りたいのだ。

以前聴いたときには、音響装置との相性が悪かったが、やはり未調整の音響装置が原因である事を確認できた。

そのことで思い出すのは、音響装置、特にスピーカーを語るのに、JAZZ向きとかクラシック向きだとか言うことが、かつてよくあった。

今でもこのような傾向が、あるか否かは知らないが、その昔はこのような論調を何らおかしいとは思わず、スピーカーによって、出てくる音が大幅に違うことから、そういうことは有るものだと信じきっていた。

曰く、JBLはJAZZ向き、曰く、タンノイはクラシック向きである云々。

スピーカーによって、音が変わる事は事実だから、そのようなことが全くないとは言えないものの、メーカーで一緒くたに括ってしまうのは乱暴すぎるト思う。

しかし、小生はJAZZ向き、クラシック向きという音響機器の区分けは、無意味であることを自ら体験することになった。

クラシック向き、しかも室内楽向き、などといわれていた、QUAD、ESL-63を調整し、大編成の交響曲からピアノまで、聴きに来た人が驚くほど、素晴らしい音で何でも熟すことが出来ることを体感し、弦楽器の再生・・・クラシックは不向きと言われるYAMAHA、NS1000を調整し、ドラティのハイドンでもわかるように、今では難なく熟すばかりか、非常に良い音を出してくれるようになったことだ。

これらのことから、スピーカーは、それぞれに音色の違いはあるが、なになに向きなどというものはなく、よく調整された音響装置であれば、何でもかなりの品質でこなしてくれる筈である。

QUADでJAZZは立派にJAZZとして鳴ってくれ、YAMAHAはクラシックを、高レベルな品質で鳴らしてくれ、
しかも凝ったJAZZ喫茶においてある、超弩級システムにも負けない音で、JAZZを鳴らしてくれる。

此処まで来るのに、相当長い年月がかかったが、今我が家では、過去の遺物のようなYAMAHA、NS-1000が、心地良い音を聞かせてくれるようになった。
使い始めて40年以上のシロモノがである。

よく調整された音響装置は、実に良い音がするものである・・・小生も昔はそうであったが、肝心な調整ができないまま、しょっちゅう装置を入れ替える人がいるが、そこそこの音響機器ならば、設置環境を含め、十分追い込んで調整すれば、音はマルキリ良い方向に変わるものである。
ただし今期と耳が絶対条件だが。

未調整の音響装置で聴いた音盤が、調整が程良くうまくいった装置で聞き直すと、以前の印象と全く違い、音のみならず演奏についての印象、評価までもが違って来ることを、改めて実感できた。

次回はドラティの演奏についいて、少し迫ってみようと思うが、どうなることやら・・・
何回も同じものを聴くことが必要だから、時間がかかりそうだが、曲を絞って・・・挑戦してみることにした。

№32は3回聴いたが、間にパウムガルトナーの103番を聴いたので、まだまだ時間がかかりそう。

時間がかかるだろうが、残された32枚を聴くのが楽しみだ。

でも途中で飽きて、放りだす可能性もある。

[PR]

by noanoa1970 | 2011-05-13 08:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)