ドラティのハイドン交響曲試聴の序奏

昨夜2時間かけてようやく見つけた、ヒドンじゃなくハイドンの交響曲全集を、何年か振りに聴くことにした。

購入直後は、それまで使用していて、調整も程よく仕上がっていたQUAD,ESL-63の機嫌が悪くなったので、YAMAHA、NS-1000に繋ぎ変えたところだったから、このCDと相性が良くなくて、弦の音が突き刺さるような刺激的な音で聞こえた。

ビブラートは控えめのようだから、ストレートな音の傾向はあるにはあるが、耳を刺激するほどの音色ではないはずだ。

ノンビブラートを特徴にするゲヴァントハウス管も、コンヴィチュニーで聞いた評価として、渋い、落ち着いた、燻銀、などの暗いイメージで語られることが多いが、それはべと全、シューマン全の録音のせいであり、他のライブ録音では、決してそのような音色でなく、むしろ少し明るめのシルキーな音色の弦の音がする。

ノンビブラートは、ビブラートをたっぷりかける、オケの弦の音色よりは、ボウイングの弓圧の影響がもろに出る傾向があるせいか、音量の急な変化の即応性が高いらしく、緩急、明暗そして快活さや静けさ、陰陽といった要求に即答するのが得意のようだ。

そのかわり、ポルタメントを多様するような音楽は不得意だ。

しいて言えば、音色が異なるばかりか、反応が鋭いため、微妙なアゴーギグでも全く問題なく演奏でき、音楽を楽しむ余裕さえ持つかのように感じることがある。

弓の圧力による音色に、変化が出し易くなり、それにより表現の幅が大きくなるのが、ノンビブラート(ごく薄いビブラート)ではないかと小生は思っている。

雄弁に語り、優雅に歌うかと思えば、急激に変化し、怒ったり泣いたり、時には驚かしたり、様々な表情を持つのが特徴のハイドン。

ドラティは、ハイドンのもつそうした音楽の特徴を、より活かすために、ノンビブラートでフィルハーモニア・フンガリカを、ドライブしようとしたのではないだろうか。

さすれば、聞こえてくる弦の音色、表情は、常に変化していくハイドンの音楽の特質を、十分取らまえてなければならないし、そして変化に対する素早い過特性を発揮しなくてはならない。

しかし最初に聞いた時の弦の音色は、ハイドンの饒舌、快活、洒落っ気、スピード感、おおらかさ、それらの要素を出し切っているとは、とても思えないプアーな響きがしたが、その原因は、他の音楽においても満足度の低い音で鳴っている、音響装置の調整が不完全であることによるものと断定することができた。

音響装置の調整不良が、特にドラティ/フンガリカのハイドンを、刺激的で、不自然な弦楽器の音を再現し、その結果聴くのを避けてきたのだった。
そして、ドラティという指揮者が、小生の好みから遠い存在の指揮者であるという思いを、持つに至ってしまうことになった。

kなり訓練された耳を持っているリスナーでさえ、再生音の良し悪しが、録音された演奏に大きく影響することがある事は、認めざるをえない。

SP復刻LP東芝GR盤で発売された、カラヤン/リパッティの、シューマンのP協奏曲の音が、あまりにもよくなくて、評判の割にはその演奏は、あまり大したことはないと思ったのだが、リマスター復刻CDを聞いて、昔の音のイメージが全くなくなり、演奏自体も素晴らしいことを認識するに至ったことがあった。

小生は極力、録音の善し悪しによって演奏の良し悪しが決定されぬよう、わざとSP復刻LpやモノラルLPを積極的に聞くことで、自分の耳を鍛錬しようとしてきた。

そのことの延長線上に、50年代以前の録音による演奏を、ブラインドホールドテストによって聞き分けてみようと、試みたことがあった。

人間の耳に補正機能が備わっているか否かはわからないが、古い録音だから録音状態は当然良くないものでも、そのことにとらわれないで、演奏自体を聞くことがある程度は可能となった・・・と思う。

いかし小生は、そのような録音状態が良くないものの中で、取り分けて、絶対に相容れないものがある。

それは、ある特定の音が強調され、うるさく聞こえることだ。

例えば、バイオリンの音が、ノコギリのような音に聞こえる場合がその最たるもの。
これは神経に触る小生の最も嫌う音なのだ。

嫌な音の中でも、特に金属音のようなバイオリンは、聴くに耐えられないし、ヴォーカルが高域でヒリつくものも、同じように耐えられない。

ガラスを爪で引っ掻いた時の音が、耐えられないという人が居るが、小生はそれ以上にこれらの音が嫌いである。

最初にドラティのハイドンを聞いたときは、録音に定評あるDECCAにもかかわらず・・・いやDECCA録音のショルティのヴェルレク、最初に出たCDは、弦もヴォーカルもアタックで歪み、聴くに耐えられない音がした。

ヴェルレクは、QUADで聞くと、やや落ち着き、弦の音はましになったが、肝心の男性ヴォーカルの高音部で人間の声とは思えないような、非音楽的な音を発した。

ハイドンもそのくちか、そう思ったのは事実で、DECCAのアナログ録音のCDデジタル化初期のADD録音では、稀にそのようなことがあるのを、経験していたからであり、音響装置の調整が終わってない状態での試聴と相まって、見事に悪い方向のシナジーを助長した。

捜したのだがなかなか見つけられなくて、昨夜運良く見つけることができたハイドンのCD、今度は調節がうまくいき、満足度の高い、高品質な音を聞かせてくれるようになった現システムで、以前聞いた時と聞こえる音のは変化したのだろうか、そしてドラティの指揮ぶりはドウなんだろうか、そのようなことを念頭に聴くことにした。

CDは全部で33枚あるが、すべてを聞いた後では、何時になるかわからないから、適度に聞いた上で試聴の感想を書くことにする。

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by noanoa1970 | 2011-05-12 22:51 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)