ベートーヴェン→ブラームス→マーラー

朝から耳で鳴っているものがある。

ブラームス1番の終楽章、チェロで始まるあの有名な旋律のようでそうでない。

一昨日、コンヴィチュニー/LGOの演奏を立て続けに聞いたから、そのせいかと思ったが、そうでないことは、完全に同一のメロディではないことから明らかだ。

かといって、ブラームスがオマージュしたと言われる、本家ベートーヴェンの「歓喜の歌」でもない。

一体なんだったか、それはホルンによって奏でられる曲ということを、なんとか思い出したから、ダメもとで当たってみた。

しばらく心当たりを探し、行き着いたのは、ネットからDLした、マーラー 交響曲第3番ニ短調 であった。

指揮エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム(指)
M.フォレスター(A)
コンセルトへボウ管弦楽団、アムステルダム・トーンクンスト合唱団
ツァングルスト少年合唱団
録音:1957年7月14日ライブ

8本のホルンで演奏される、1楽章第1主題が頭で鳴っていたというわけだ。

それにしても、そのフレーズはブラームスの1番終楽章に出てくるフレーズによく似ている。
そしてブラームスは、ベートーヴェンの第9終楽章の「歓喜の歌」に通じることになる。

だとすれば、マーラーの3番の交響曲、1楽章のホルンで鳴らされる主題は、ベートーヴェンに通じていることになる。

ブラームスは多分、ベートーヴェンへのオマージュとして、このフレーズを、本の少しの加工で、引用した。
ブラームスにあったもの、そして引用の原点は、ベートーヴェンに対する尊崇の念だったのだろう。

そのことは、なにもブラームスのエピソード話を紐解かなくても、その音楽がブラームスに、静かな想いがあるのを語ってくれる、そして厳粛でかつ荘厳な作り方であること、そしてそのフレーズに至る前の部分から推察すれば、自ずから答えは出るのだと思う。

しかし、マーラーの場合はどうだろう。
彼のことだから、これはオマージュなんかでなく、パロディといったほうが良いような気がする。

ホルンによって、ベートーヴェンあるいはブラームスからの引用が吹かれたあと、すぐにティンパニー、そしてシンバルの強打によって、それが打ち消されててしまい、少しの沈黙の後、不気味な小さな音でティンパニーが叩かれ、次にトランペットがタタタターと運命の動機を間をおきながら、かなりしつこく鳴らされる。

しかもトランペットによる、運命の動機は、その後も頻繁に登場し、それが消えかかるると、そこでようやくマーラー得意の、民謡らしきモチーフが登場する。

しかし運命の動機は、またまたトランペットで鳴らされ、しかも今度はティンパニーによっても叩かれる。

これらのことから見えてくるものは、マーラーは、ブラームスというより、ベートーヴェンを意識していたということだ。

マーラーは多分プライドの非常に高い男であったろうから、ブラームスがそうしたようには、ベートーヴェンをストレートに尊崇できなかったのではないか。

ブラームスを模倣すれば、その向こうにベートーヴェンの存在があることは、言わずもがなだ。

マーラーは、ちゃっかりとそのことを計算していた。

したがってこの音楽、交響曲3番1楽章は、ブラームスへのオマージュと見せかけたが、実はベートーヴェンに対するオマージュで、ブラームスに対しては、パロディだとして扱うほうが分かりやすいのではないだろうか。

つまり、ベートーヴェンには、かなりのコンプレックスを持ちながら、だから否定の対象ではあったが、しかし密かに尊敬していて、そのことがこのような間接的引用に繋がったのではないだろうか。

こんな妄想を引き出させるほど3者は似ているし、運命の動機の巧みな散りばめ方から、根底にはやはりベートーヴェンへの思慕があった事、そして3番でそれが顕著に、分かりやすく表出していることは明らかであろう。

今に自分の時代が来る・・・そう言ったマーラーだが、ベートーヴェンを追い越すことは、生涯できなかったようだ。

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by noanoa1970 | 2011-05-03 20:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)