ノイマン/ゲヴァントハウス管のマラ5アダージョ

テンシュテットのゆったりおおらかな演奏の次に、シェルヒェンの思っても見なかった、ロマンチックな演奏を聴いて、久しぶりに胸が熱くなった。

録音のせいもあるだろうが、テンシュテット盤は、ハープがすごく引き立っている。
そして指定のアダージェットを速度記号とは解さないで、さらにゆっくりめのアダージョで演奏しているが、艶がノッた弦パートの音色が、一段と美しさを表現していた。

シェルヘン盤は、シンバルの音がやたら強調されているが、これはライブ録音のせいだと思わる。
しかし途中、転調の場面で不自然に音量が突然大きくなるのは、録音のせいではなく、シェルヒェン独特のいつもの事であろう。

計測したわけではないが、ゆったりしたテンシュテットより、さらに時間をかけたように聴感上感じる。

あの変人のシェルヒェンが、まるで変身でもしたかのような、ロマンチックな音楽を聴かせるとは、夢想だにしていなかったから、これは嬉しい発見であった。

全曲まるごと聞くのであれば、もうこのあたりで聴き止め、というところだが、アダージョ楽章だけなら、と思って今度は、ノイマンを聴くことにした。

ノイマンというより本音を言えば、コンヴィチュニー以外でのゲヴァントハウス管を聞きたかったのだ。

ノイマンはスメタナとドヴォルザークをチェコフィルでほんの少し聴いていただけで、そうでなければ、わざわざそれもマーラーなどを聴く気にはなれない。

そんなふうに思っていたが、実際聴いてみてそれが誤った考えであることを、思い知らされてしまった。

ノイマンって、こんな演奏が出来る指揮者だったのだ、そんな風に思うほど、この演奏の出来は素晴らしい。

正直言ってコンヴィチュニー亡き後のゲヴァントハウス管は、実力も、オケの持ち味のシルキーな音色も、それらが無くなってしまった、そう思っていた。

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この演奏は1965年録音だから、コンヴィチュニーが亡くなってから、たった2年しかたってないから、オケの総合力が急激に衰えるはずもなく、そのことは指揮者の依存度が高かった証拠であろう。

ハッキリ言えば、コンヴィチュニー時代のゲヴァントハウス管の音楽は優秀だったが、ノイマン時代になって、伸び悩んでいるというのが、巷の解釈で、翻せばノイマンという指揮者の力がないということになる。

またチェコフィルという同郷のオケを振ったときの音楽と比べて、生粋のドイツオケであるゲヴァントハウス管の場合は、何が良くないのかわからないが、その音楽がこなれてないという論評もあった。

ノイマン/ゲヴァントハウス管の時代は、たった数年でしかなく、両者での録音は極少数でしかない。

チェコフィルとは20年もの付き合いだから、叛東ドイツ叛ソ連という政治心情の持ち主でもあったから、楽団員とそりが合わなかったのかも知れない。

しかし、このマラ5の演奏は、ノイマンの指揮者としての力量も含めた、そんな表層的な見方を大きく覆すような演奏であった。

ゲヴァントハウス管も、コンヴィチュニー時代の最後、録音状態が良かった時を凌駕する、エテルナの録音技術と相まって、さらに緻密なシルキートーンを聴かせてくれた。

嬉しいことに、弦の奏法はコンヴィチュニー時代とほとんど変わってなく、ビブラートはかなり抑えめ。

しかし録音状態がかなり良いから、かねてから言われた、ゲヴァントハウス管の渋いあるいは、いぶし銀の音色というよりは、もう少し艶やかな弦の音色、シルキートーンとも言うべき音色が聞こえてくる。

そういえばノイマンは、かつて指揮者になる前は、スメタナ弦楽四重奏団の第1vn奏者及びビオラ奏者を務めていたから、弦楽器の聞かせ所でもあるこのアダージョ楽章は得意だったのかも知れない。

ゲヴァントハウス管の弦の音色は、先に聞いた演奏がかなり甘くロマンチックに聞こえたのに比し、心情告白心情吐露を吐くようなときの喉奥の声のような感じがする。

このあたりは、迫り来る故郷チェコ弾圧が微妙に影を落としていたのかも知れない。
プラハの春1968年、おそらくチェコに移る最後の時、スメタナの「わが祖国」全曲を、ゲヴァントハウス管と録音したのも、ひょっとしたら、演奏音楽以上の何かがあったのかも知れない。
のちのチェコフィルに比べて、相当力が入った演奏だ。

ノイマンという人物は、単に音楽家芸術家という範疇にはおさまらない、社会性のある人間と言える。

したがって、彼の音楽は出来不出来が激しく散見されるが、気合がノッたときにはすごい演奏をしてくれ,その代表がマラ5ということができそうだ。

望郷の念が極端に強くなったと思われる時期のスメタナ、ドヴォルザークにもそのことが言え、それはチェコフィルとの演奏以上に、ゲヴァントハウス管時代に言えるような気がする。

したがってゲヴァントハウス管に対するコンヴィチュニー亡き後の評価は、ノイマン時代でのものではなさそうだ。

マズア時代のゲヴァントハウス管の検証が必要だが、それは今後の課題としよう。

ノイマンのマラ5アダージョ、あまりも素晴らしいので、全ての楽章を聞き直したが、楽章間のつながり・・・絆と言い換えてもいいのだが、それがとても有機的なところが、今まで聴いた他の演奏とは違うように思う。
そういう意味で、世間で定評があるインバル盤、小生にはその良さが全くわからない。

あぁ、ノイマンが指揮をしながら、感情込めて歌っている声がまた聞こえる。
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by noanoa1970 | 2011-04-28 10:36 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

Commented by HABABI at 2011-04-28 20:45 x
こんばんは

私はノイマンがゲヴァントハウスを指揮して録音したものは、すべて名演奏だと思っています。マーラーの6番、グリークのペールギュント、スメタナの我が祖国、それとこの5番。オケに恐ろしいほどの力があり、ドイツの重戦車という印象があります。いわば硬派の演奏ですが、曲の本質を聴かせてくれるように思い、この指揮者とオケの貴重な組み合わせの演奏録音を大事にしています。
Commented by こぶちゃん at 2011-04-29 03:25 x
偶然でしょうか、数日前にノイマン/ゲヴァントハウスのマーラー9番を中古で入手したばかりでした。
その実力たるや…素晴らしいの一言。この曲の解釈にはもう一つ消化不足は否めませんが、60年代当時を考えたら十分に素晴らしい内容と評価出来ます。
ノイマンはゲヴァントハウスを更なる高みに上げようとしていたけれど、プラハの春で離れ、後を引き継いだマズアがダメにした…
Commented by noanoa1970 at 2011-04-29 08:08
HABABIさんおはようございます。ノイマン&LGOを正当に評価していただく人がいて、頼もしく思います。小生はまだノイマンはほんの少ししか聞いてはいませんが、おおいに5番以外のマーラーを聴く気になりました。今スピーカーからは、「わが祖国」が流れていますが、書き終えたら再度ジックリ聞きたいと思います。
嬉しかったのは、LGOの実力も音色も、損なわれていなかったという事実で、コンヴィチュニー以後のLGOはダメになったと言う通説?が誤りであったことでした。、
かつて聴いたスラブダンスも素晴らしかったので、これも聴くつもりです。
Commented by noanoa1970 at 2011-04-29 08:19
こぶちゃんさん、おはようございます。
マーラー9番、良かったようで入手した甲斐がありましたね。当時の世間の論評から推察すれば、マズアがLGOをダメにしたという事になります。しかしこのことが正しいか否か、マズア&LGOをもっと聴いてからの結論にしたいと思います。でもマズアはどうしても触手が伸びなくて旧ベト全しか聴いていません。ティンパニーのディミネンドなど、解釈が独特で時々はっとすることがあるのですが。そういえば、現在のシャイーもあまり聴いてないなー。
Commented by ベイ at 2011-05-02 22:46 x
noanoa1970さん
シャイー&ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナー8番の放送が5月15日日曜日午前6時からNHK BSプレミアムであります。3月4日サントリーホールで生演奏を聴いた感想は、壮麗で豊穣、ゲヴァントハウスの伝統の響きを現代の機能的なオーケストラサウンドに適度にブレンドさせたスケール感ある演奏でした。
Commented by noanoa1970 at 2011-05-02 22:56
ベイさんこんばんは
以前案内をいただいたのに中止となってしまい、がっかりしていました。5.15今度はしっかり録画できるように願っています。自身の速報など入らないといいのですが。
情報連絡感謝です。評判が良いようで、シャイーがゲヴァントハウス管をどのように操るのか、そしてオケの音色に昔との違いがあるのか、興味津々で楽しみです。