7つの名前を持つ男

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モイセイ・サムイロヴィチ・ヴァインベルクという作曲家は、スターリン時代をショスタコーヴィッチとともに過ごした人だ。

ポーランドのワルシャワ生まれ、ユダヤ人である。
ナチスのポーランド侵攻で、ソ連に亡命した最、ミエチスワフ・ヴァインベルクというポーランド語の名前を、ロシアふうに変えた。

その他ドイツ語、ラテン語、キリル文字表記など、移動地ごとに名前が変わるという具合に、自分の名前を沢山持つが、これはユダヤ人の生きるための知恵でもある。

正確に7つではないが、名前を多く持つという意味と、ユダヤ教キリスト教で重要な数字の7をあえて使わせてもらうことにした。

ワルシャワに残った親兄妹は、トラヴニキ強制収容所で亡くなったし、結婚した嫁の親もスターリンの反ユダヤ主義の一環で殺されたというから、反ユダヤを標榜した独裁者、スターリンとヒナチスヒトラーに対する恨みは相当なものがあったに違いない。

作品はというと、ショスタコーヴィッチ並の多作で、交響曲は19曲も作っているし、室内楽も多い。
7つあるオペラの内、パサジェルカは特に重要な作品だとされる。

本日この作曲家のオペラを取り上げることにしたのは、普段からよく聴いていたからではなく、むしろいままで全く眼中に入ってこなかった作曲家であるにも関わらず、歌劇パサジェルカ Passazhirka を見る機会に恵まれたからだ。

2010年7月 オーストリア ブレゲンツ祝祭劇場での、おそらく世界初公演が、BSーhiで放送されたのだが、そのストーリーは、アウシュビッツで起こった出来事を主人公に回想させ、本来なら幸せいっぱいのブラジル行の船中が一変して、こころ穏やかならぬ時を過ごすことになってしまった。
そんなある女性の心理状態、苦悩や葛藤を描いたものというのだから、刺激的オペラであろうと期待し観ることにした。

大まかな内容は
ナチス時代のアウシュビッツで、監守人をやっていた女性は、月日が流れ外交官と結婚。

1961年、外交官の夫の転勤で、ブラジルへと渡る客船のデッキで、アウシュビッツ時代に知った、ある人に似た女性を見つけたことから物語が始まる。

その人物は、アウシュビッツに収容されたユダヤ人の女、当時看守であった彼女は、ユダヤ人女性に最初は同情し、何かと親切にして友情を深めようとするが、ユダヤ人女性は冷ややかな目で看守を見るだけだった。

本当の親切心ではなく、それはユダヤ女性の激しい恋心に嫉妬心を抱いた裏返しの行為であることをユダヤ女性は見透したからだが、それに腹を立てた看守は、仕返しにと、厳しい仕打ち・・・ユダヤ女性の人権のすべてを、暴力的に支配するといった具合に変貌する。

ある時、収容所の実態を調査しに来た、現場監視役の上司から、看守の評価を問われたユダヤ女性は、看守の暴力に怯えたのか、良くしてもらっていると監視役に告げ、そのおかげで、看守は出世し本国に帰還する。

しかし一方、看守の悪行を何故か言わなかったユダヤ女性は、すぐに死への場所に移されることになった。

大まかなスリーリーでしかないが、ユダヤ人の女性にたいし、ドイツ人のしかもナチスの女性看守の、アウシュビツでしてきた、忘れてしまいたい残虐な行為。

かつてのユダヤ女性に似た人を見て、忌まわしい記憶がよみがえってきたその現実が、自分の幸せな未来をすべて奪ってしまうのではないか、という恐怖で怯えるほどの重荷の大きさと、それに至る心理状態を顕いたものと受け止めた。

実際ユダヤ女性に似た人は、英国人とわかるのだが、過去の忌まわしき記憶は、脳裏から消え去ることはない。

夫には、自分がナチス党員だったことがバレてしまい、もしそのことを世間に知られることになれば、重い刑罰を受けるはめになり、幸せだったこれまでの日々と希望に満ちた将来が、一転して不幸のどん底に変わってしまう。

もう自分に幸せはないのか。
いずれユダヤ人のナチスの残党狩りに捕まるかもしれない。
夫は多分離婚してくれと言うだろう。
あのユダヤの女性によく似た女性と出会わなければ・・・
アウシュビッツに収容された人たちへの厳しい仕打ちは、命令されて行なったもので、自分のせいではない・・・

などなどの思いが頭の中を駆け巡る。

日常のふとした偶然が引き起こす悲劇・・・しかしそれは決して偶然ではなく、過去に自らが行った残虐行為が招いたという、因果関係の結果によるもの。

加害者は忘れても被害者は永遠に忘れない。

過去の非人間的行為を、日常は忘れて過ごせても、心の片隅に残っているから、何かのきっかけで表面化する。

そのような考え方には、因果のなせる必然であるという、ユダヤ的思想が根本にありそうだ。

すなわちユダヤ人のナチスドイツ、ヒトラーに対する、戦争犯罪追求の執念の姿勢、全面には出てこないが、背景には絶え間なく流れているようだ。

外交官の夫と、ナチスの残党と分かってしまった妻が、この先どのような人生を送るのかは、だれも知らない。

しかし毒ガス室に送られて、死んでいった多くのユダヤ人に比べれば、心の重荷、葛藤などは些細なこと、自業自得で、いた致し方ないことである。

元アウシュビッツの看守でナチス党員の女性、この先どのように生きることが可能なのだろうか。

ユダヤ人には、かつてのナチス党員を徹底的に炙り出し、裁判にかけることを目的とする組織が、今も尚、存在するようだ。

ショスタコーヴィッチに比し、彼の評価が定まるのはかなりの時間を要すこととなった。
近年再評価が進んでいるから、録音も増えると予想される。

キャスト及び演奏
旧アウシュビッツ看守・・リーザ:ミシェル・ブリート
外交官の夫・・ワルター:ロベルト・サッカ
ユダヤ人女性・・マルタ:エレナ・ケレシディー
マルタの恋人・・タデック:アルトゥール・ルチンスキ
収容所の女性・・カーチャ:スヴェトラーナ・ドネワ 
管弦楽:ウィーン交響楽団
合唱:プラハ・フィルハーモニー合唱団
指揮:テオドール・クレンツィス
演出:デヴィッド・パウントニー

出演者はもちろん、指揮者も知らない。
ただウイーン交響楽団とプラハフィル合唱団を知っているのみ。
映像で見るこの若手指揮者クレンツィスの、大仰な手振り(視認しやすいためにだろうか)が印象的だ。
比較もできないが、さすがにこのオケは、難曲にもかかわらず、うまくこなす。
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by noanoa1970 | 2011-03-23 11:26 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)