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福の島、死の島

一向に回復の兆しが見えないばかりか、時を追うごとに状況が悪化していくようだ。

報道での小生の受け取り方では、いかにポジティブに考えようとしても、すでに対応のキャパシティーを超えたところに行ってしまったと、悲観的な思考に陥らざるを得ない。

基準値の100倍とか、いかにもものすごい放射能値を示しているかのような、むやみに国民感情をあおるような報道も、今は影をひそめてしまったほど。

こういうときほど実は破滅的なことが多いものだ。

果たしてわれわれ国民は、真実の情報が得られているのか、真実を伝えようと、関係者たちは真摯な態度で会見に臨んでいるだろうか。
情報隠ぺいは、絶対にないのだろうか。

一番守られるべき国民の生命以外の何かを、守ろうとしていないか。

いかに未曽有の災害そして事故で、混乱しているとは言え、断片的で不確実な会見内容を、あれだけ幾度も見せられると、そういった疑念も湧いてくる。

一番気になるのは以上に加え、情報伝達の概念がしっかり定まってないまま、不確定要素の強いままの途中経過、そして現象を伝えるだけの内容が、其々の関係者によって、(多分彼らは善意だろうが)、それら雑駁な情報を受け取る側、つまり国民のことを、まったく考えてないやり方、つまり危機管理能力欠如のやり方は、情報隠ぺいを指摘されるのを、強度に嫌った発信サイドのパフォーマンスでしかない。

かえって国民を不安に導き、ひいては混乱状態に導く恐れがあることすら、まったく認識がない。

人は「情報」によって行動する。

受け手に多くのことを推測させ、挙句何がなんだかわからない結果になる。
そんなものは「情報」ではな区、伝達の域を脱していない。

今回の原発事故の会見のほとんどが、受け手を不安に陥れるものばかりであった。

それで、手を拱いた現状でこのままいった時、福島原発事故の影響は、計り知れないものになり、チェルノブイリやスリーマイル島を大きく超えた巨大な事故へと発展するのではないだろうか。

そんな考えが、だんだん頭から離れなくなる。

そのような悲観的思考を、強烈に打ち消す材料は、いまだに見つからない。

「福の島」は「死の島」になってしまうのだろうか。

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そんなことを考えながら、本日はラフマニノフの交響詩「死の島」を、アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団の演奏で、消極的ではあるが聴いてみることにした。

死人を乗せて島へと漕ぎ行く、カロンの艀の櫂の音を表すような、音とともに始まる曲は、いつ聴いても不気味だ。

死者の島は、地獄の恐怖から天国的幸せまでが存在し、新しく運ばれてくる死者が、どこに行くのかはわからない。

そして、そこに神は存在しない。

聴いていて非常なペシミズムに陥ろうとするので、ブルックナーの8番交響曲の終楽章を聴き直した。

「コザックの行進」といわれるように、強力な部隊がある目的のために、隊列を組んで力強く向かっていくような音楽が冒頭から始まる。

小生は戦車隊の侵攻のように思うことが多いこの部分、今日は原発事故の修復に、命がけで作業する自衛隊の皆さんの姿が浮かんでしまった。

通常のそして危険度の少ない職務であれば、中電のサラリーマンや技術者でも十分なのであろうが、こと重大な、国家規模の大惨事への対応は、日頃訓練を受けている自衛隊が適しているだろう。

原発事故に対応する訓練はされてはいないと思うが、方法が決まればすぐにそれを実行する力は十分すぎるほどある。

いくつかの方法を検討中との報道があるが、一刻を争う時ではないのか。
それなら、あれこれ言わないで結論をすぐさまだし、実施することが肝腎だろう。

ブルックナー8番の終楽章、こんなことは人生で初めてだが、今この時一番頼りになるであろう自衛隊の、勇気ある行動を象徴するかのような、力強い行進の姿が目に浮かんできた。

妄想的期待通り、何か効果的なことをやってくれるといいのだが。

by noanoa1970 | 2011-03-16 17:06 | トピックス | Comments(4)

Commented by こぶちゃん at 2011-03-16 20:34 x
マスコミは、正統な自己評価の出来ない生き物です。
お説の通り、発信者側の論理だけで「報道の自由」を謳い、情報を流す。受け手のことは全く考えていない。
だから、生存者発見と救助で大変な現場に沢山のヘリを飛ばし、連日連夜悲惨な被災地を流しまくる。
あれを見て、生存者発見には繋がらないだろうし、あのヘリの何割かを救助に回せば良いと思うのは私だけでは無いでしょう。
(続く)
Commented by こぶちゃん at 2011-03-16 20:40 x
さて、プレヴィン。ムターとの年の差婚(後に離婚)で話題になりましたが、ピアノを弾けるのが不思議な位、老け込んでます。
(アバドの子を産んだムローバにもたまげましたが、指揮者と女性ヴァイオリニストって何かあるのでしょうか?)
プレヴィンの黄金期は、ジャズ・ピアニストとして人気を博しながら、クラシックへ転進した直後のこのロンドン響(以下LSO)とのコンビが最も輝いている頃と思います。
私は、この時期弾き振りしたガーシュウィンやチャイコフスキーのバレエ音楽が最高と思っていますが、ラフマニノフ「死の島」は、DRACさんのコメントで初めて知りました。今度聴いてみますね。
Commented by noanoa1970 at 2011-03-17 04:29
こぶちゃんさん
ここ数日、マスコミの対応が変化してきた兆しがあります。それまで、やたら不安を煽るような報道が多かったのですが、ことの重大さを認識したのか、原発の放射線漏れについても、正しい知識のもとに、なるべく安心を与えようとする傾向にあるようです。しかし安心だ安心だと逆にプロパガンダし始める時が一番危ないともいえるので、どのみち安心材料にはならないと小生は思います。洞察力、観察力、推理力を駆使して、状況把握と自身での対応をしないと、とんでもないことになります。
つづく・・・

Commented by noanoa1970 at 2011-03-17 04:41
指揮者と女性ソリスト・・アルゲリッチとデュトアもそうでした。(ヴァイオリニスト)の、件の関係性については実態はわかりかねますが、推測できることは、それまでヴァイオリン一筋、美人とは言え、恋愛からは遠い距離にあった時期から、コンクールで入賞し、実力が認められつつある時期、指揮者というカリスマ的に見える存在が、すぐそばにいて、演奏を合わせるリハなどの際、相談やアドバイスなど、今までソリストが経験しなかった子pとpを、教えられるから、そしてそれに、下心があってもなくても、尊敬の対象となって、やがて恋愛感情へと発展するのではないでしょうか。しかし一時の激高する感情のまま、結婚となっても、しばらくすると、恋愛でなく尊敬であったことに気が付き、夢が覚めてしまい、離婚となることが多いのではないでしょうか。
あくまで推測による一般論で、個別の恋愛についてではありませんが。(官僚の答弁みたいだ)