Round About MidnightをCDとSACDで聴く

ベスト調整をした・・・と本人は思っている音響装置で、jAZZを聴こうと取り出したのがこれ。

CDとSACDでの音の違いが比較確認可能だから、調整チェックを兼ねて両方聴くことにした。

この音盤を聴くのは、もう数年ぶりのことだから、両音盤の音の印象はもう記憶に薄い。

1956年の録音、プレステージ録音よりはかなり優れていると思うが、LPはまだしも、CDで聞くとやはり音がやや尖っている。

オープントランペットは勿論、ミュートでさえも、耳をやや刺激する歪音が強めに出るようで、かなり厳しい音で再生される。
JAZZファンの方の中には、このような音が50年代のJAZZ録音の音、あるいはマイルスの音である、そう思われている人も、少なくないだろう。

しかし大雑把に言うと、マイルスのトランペットは、バップの流れを汲んだもの、すなわちダイナミックさと先鋭なところ、それにクール時代の陰影に富んだ音とがあるように思う。

そして「Round About Midnight」は、上の2つの特徴をよく表した曲であろう。

さらにマイルスの音は、鋭いところも、決して金属が鳴らされているように尖ってはいないのであって、「トランペットが楽器である」ことを、哲学としているかのように、小生は受け止めている。

ここで聴き取るトランペットは、柔らかさと鋭さの共存と交代、そして時間的変化であり、それは逆の関係ではなく、いわばリニアに変化する裏表の関係、つまり裏と表の境目にグラデーションがあるかのものであると小生は思っている。

CDでは、かなり良い線を行っているとは思うけれど、残念ながら直接音が勝ち過ぎてていて、やや臨場感にかけ、白と黒の間、グレーゾーンの階調が少ない。

この音盤のみでで音響装置の調整をしたとするなら、真ん中の音が犠牲となりやすいから、他の音盤ではあまり芳しくない音の傾向になることは多分間違いないだろう。

その意味で、音響調整に使う音盤には、相当気を使わねばならない。
気に入っているからといって使うことや、ほんの数種類での調整はかえって逆効果だろう。
音の違いは確認できても、それが良い音か否かとは別次元のものだ。(オーディオファンが陥りやすい点がここにある)

ブルーノート盤を素晴らしく鳴らすことに、拘っているJAZZファンもいるようで、それはそれで一つの方向性だから、否定はしないが、小生は幅広く音楽を聴くから、なるべくオールラウンドで、しかし妥協は決してしない音の環境づくりを続けたい。

小生も昔から、調整時に使用する音盤が決まっている傾向にあるのだが、今回は頼りにしていたQUADが使えなくなってしまったから、最初から丁寧にやらざるを得なかった。

QUADが壊れた後仕方なく、今までまともに鳴らなかったダイナミックSP、YAMAHA1000の調整をセッティングからやり直し、気に入った音で鳴るのに要した時間は、2か月間延べ50時間ほどだ。

経費をまったくかけない作業だから、その事で返って調整の緻密さを要求されたのである。
確かにSPコードを変更すれば音は変わる、しかしその音がよくなったのかそうでないのかは微妙なところ。
お金をつぎ込んだことが、その評価を狂わし、高いコードに交換したからよい音のはず・・・なんていう、虚構アドヴァンテージが働くから注意しなければならない。

さて、米COLUMBIAといえば、それまでマイルスが主に録音したプレステージに比べ、お金持ちの会社だから、そのころでは最新の録音機材を揃えていたと思われ、録音年代から見れば、これもかなり良い録音といえるのかもしれない。

CDは、DSDマスターリングの国内盤で、今まで発売されたものの中で良いのかそうでないのかは不明だが、1955~6年の録音からすれば、どんなCDでもかなり高レベルなのだろう。

しかしそれでも限界はあって、CDを大音量で鳴らすと、隠れていた弱点があらわになってしまう。
全てにわたって出てくる音が強くて硬く、そして音楽が大げさに聴こえてしまうから、巨人(能力に長けた人でなく文字通り大きな人)が演奏しているように、SPからフルに音が溢れ、要するに「五月蠅い」のである。

さらにもう少し音量を上げて聴くと、レンジの狭さ、ベースの音の籠り・・・余分な音を引き連れて鳴るからあたかも低音が出ているように錯覚するし、結果音が耳に触る。

初めは音響装置の調整がよくないのかと思ったが、苦労して調整したし、今まで色々な音源を聴いて不満はなかったから、元凶は音盤にあるのではと、試しにSACDに代えて再生することにした。

d0063263_16595428.jpg


流石はSACD、CDとはかなりの違いがあるが、しかし音の好き嫌いは大いにわかれることだろう。

ミュートトランペットの音は勿論、オープンの音もCDとは少し違って、通常のトランペットの尖った少し耳を刺激するような、音の角が取れ、柔らかく丸い音になり、JAZZとは思えないほど、おとなしい音になった。

JAZZっぽいから、メリハリの強いCDのほうがいい、という人も存在するだろうことは想像できるが、やはりSACDで聴くほうが小生には断然音楽的に聴こえる。
ドンシャリ傾向の強いやや荒っぽい音は、JAZZの特徴の一つではあるが、演奏されることによって創出される音は、なによりも音楽でなくてはならない。

CDに存在した音に付随する、ゴミや汚れなど余分な音が拭い去られ、したがってSACDでは、CDよりも相当ヴォリュームを上げて聴きたくなる。

ベースの低音も、普段CDで聴いている時より相当軽く聞こえるから、あたかも低音が出てないかのように聞こえる。
小生はやってないが、SACD録音をスペアナで計測すれば、聴感上はさておき実際には、CDをかなり凌駕するのではなかろうか。(このあたりが不思議なところである)

重たく聞こえてくるのは、楽器の音の他に何かが加わっているからであろうし、ドラムスのハイハットも、単なる音響でなく音楽として聴こえるから、リズムがよりヴィヴィッドに聴こえ、演奏が生きてくる。

概してJAZZファンオンリー、過去に存在したJAZZ喫茶も含む、の音響装置の調整は、小生が知る限り、非常に偏っていることが多く、たとえばクラシック音楽の室内楽や声楽入り大編成音楽を聴くと、とんでもない音で鳴ってしまうのを経験したことがある。

多分この原因は、例えば「ブルーノート」のバンゲルダーがプロデュースした音盤再生を、最重点にした調整結果が、もたらしたものなのではなかろうか。

JAZZでもヴォーカルには不向きの調整となっていることが、往々にしてあり、より良い音で聴ける音楽の範囲・・・JAZZの中でさえ範囲が狭くなるように小生は思うのである。

JAZZにはJBL、クラシックにはタンノイがよい・・・決まり文句のように言われてきたことは、実は調整不良のシンボルではなかったのだろうか。

小生の装置の調整は、主にクラシック音楽の各々のジャンルにて行ってきたが、果たしてJAZZではどうか、特に今日聴いた50年代の金管とピアノ他のリズムセクションのユニットの音盤は、古い他ジャンルインストルメンタル再生の調整の良否を判断するのに好都合だ。

改めてJAZZの一片を聴いた限りだが、小生のYAMAHA1000は、クラシック音楽を再生するときとほぼ同じ高レベル再生の音を聴かせてくれた。
どうやら一から出直し調整をしてきた甲斐があったようだ。

過去に行ったさまざまな調整は、QUAD健在時代、このSPを本格的に聴くわけではなかったから、それでずいぶん甘い調整に終わっていたのだろう。

さらに望むところは、その当時の録音の特徴とされるプロデューサーの録音技術及び演奏の質や雰囲気がもしもうまく再生できれば大成功といえる。
具体的に言うと、ブルーノートやプレステージ録音との違い。
・・そんなことまで分かるようならば、素晴らしいのだが。

ジャンル、年代を問わず、幅広く音楽を聴く人の音響装置調整には、録音が良いとされる音盤ばかりでは、ベストな調整はできない・・・こう断言できそうだ。
だからたとえSP録音のLP復刻盤でも、それだけではいけないのはもちろんだが、プラスして実施すると、調整時の参考音源としても相応しくなるわけだ。

小生の見解では、音楽の種類によって、再生に良否が出やすい装置は、未だ調整不良である、そういってよい。

その意味においても、Round About Midnightは、小生にとってはGood choiceだったようだ。

SACDで聴くと、CD時に全体を支配する音の籠りがスッカリ取れて、余分な音がなくなり、チョット聴きの耳には物足りなさを感じるかもしれないが、演奏者が自分の出番に備える様子さえもがわかりそうな、そんな細かい雰囲気や息遣いがとてもリアルだ。

SACDは、場の空気感さえも表現するような能力を持っているようで、CDとは印象がかなり違って聴こえる。

ただし求めるものは、人それぞれ。
CDで満足したって不思議ではないし、確かにSACDでの改善ポイントは極小さいもので、しかも表面には出にくいものだ。

近年SACD売上不良を感じる原因は、コストパフォーマンスがよくない点と、中級価格帯製品では最近ではとても安価になったとはいえ、買い替え需要がまだ少ないせいなのだろうが、今後SACDが果たして伸びていくのかを考えると、かなり難しいといえそうだ。
[PR]

by noanoa1970 | 2011-02-13 17:19 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)