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敬愛の音楽家たち・・・F・コンヴィチュニー

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コンヴィチュニーをドイツ人だと思っている人もいると思うが、彼は「チェコ」の「モラヴィア」出身である。
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地図を見ていただければ分かることなのだが、チェコのモラヴィア地方・・・コンヴィチュニーが勉強した音楽院の有る「ブルノ」という都市から程近い「ドナウ川」を越えれば、すぐに「ウイーン」にいけるし、ウイーン経由で、「南ドイツ」の都市にもとても近い位置にある。「プラハ」からは旧東ドイツはすぐの位置だ。

コンヴィチュニーの音楽の底辺には、チェコ・モラヴィアの地の利が齎すドイツ、オーストリア、ハンガリー、などとの芸術文化的交流から来る普遍性と、民族のナショナリズムの両面を感じることがある。
「ヤナーチェク」は少し先輩で同郷の出身である。恐らくブルノ音楽院で交流があったのだと推察される。
彼の音楽の根幹に有るものは「規律の中の自由」であり、もう一歩やりすぎると羽目をはずすギリギリで押しとどめる・・・・例えばそのようなアゴーギグが随所に見られる。同時代のフルトベングラーとは、このあたりで音楽表現に一線を画す。

第9の演奏も、よく言われるような、「オーソドックス」では決してない。3楽章におけるテンポの動かし方が・・・終楽章の「アチェルランド」と「クレッシェンド」の運び方。そして何よりも、心憎いほど絶妙な「間」の取り方は何時聞いても小生には心地よい。

このコンヴィチュニーの「テンポ」は例えば、胎児がお母さんの鼓動を聞いて安心して眠るような落ち着きと、柄も言わぬ懐深い安心感を小生に与えてくれる。
「波長が合う」・・・・とは、まさにこのことなのかもしれない。そして彼の残したほとんどの録音について、そのことが言えることは、驚異的である。

コンヴィチュニーの音楽に潜む魔物を体感した人は、彼の音楽から離れられなくなり、恐らく生涯にわたり聴き続けることだろう。
残念ながら、そういう人はまれであるけど・・・・万人向けの音楽家でないから、これは致し方ないし、そしてそれで良いのである。
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SKD=シュターツ・カペレ・ドレスデンとの「英雄」は、緊張感と、安堵感の中に身を長い間おきたくなるような演奏である。音盤ではまれなことであるが、何回聞いても飽きることがない演奏でsる。・・・コンヴィチュニーの録音はそのことが非常に多いのだ。

by noanoa1970 | 2005-07-16 07:50 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)