不世出のユニットでメンデルスゾーン八重奏曲を聴く

最近この曲の録音は、かなり増えてきたようだが、一昔前はほんの数えるほどしか発売されていなくて、選択範囲はごく限られていたように思う。

その中で有名どころでは、ウイーンン八重奏団の演奏と、本日取り上げるスメタナQ+ヤナーチェクQが、この曲のために、ユニットを結成して演奏した録音があった。

この2つの四重奏団は、いずれもが、スメタナ、ヤナーチェクそしてドヴォルザークといった母国の作曲家の作品が得意で、しかもその実力範囲は、それだけにとどまることを知らない。

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、などの演奏においても、相当の評価を得てきた、チェコの四重奏団だ。

特にスメタナQは、ファンも多く、彼等の演奏は高い評価を得ている。
民族主義的なカルテットを脱皮し、もはやグローバルな存在でもある彼らの演奏は、緻密で「真面目」あるいは「全う」という言葉が相応しい。

一方ヤナーチェクQは,スメタナQとは少々方向性が異なるようで、土俗性が色濃い演奏をしながらも、自国の作曲家の作品以外ではその上に、大胆な鋭さを併せ持ち、彼等の言語をしっかりと保って活動している。

卑近な例でいえば、誰もが聞いたことのある、ドヴォルザークの「アメリカ」。
この曲の1楽章第2主題の、表現方法の違いを両演奏で聴けば、そのことが理解しやすいのではないだろうか。

そんな方向性の質が異なる傾向の強い、2つのカルテットが、メンデルスゾーンの八重奏局のために、臨時にユニットを組んだ演奏を取り上げることにした。

アンサンブル手法や技術、解釈の微妙な相違が、音楽に及ぼす影響の有無、気心知れたメンバーで活動してきた、すでに完成しているユニットが、急遽異質のユニットメンバーと、(多分レコード会社の要求で)一緒に演奏することのリスクはなかったのか。

音楽上のリーダーシップは、どちらの誰が握るのだろうか。
そして何の諍いも、わだかまりもなく、忙しい間に、十分な練習ができての録音だろうか。

小生はそのような心配をせざるを得なかった。
なぜならば、小生の経験では、巨匠同士のメンバーによるユニットが成功した例は、かなり少ないようだからで、ダメな代表は、巨匠中の巨匠カラヤン+ロストロポーヴィッチ+リヒテルの、ベートーヴェントリプルコンチェルトだが、ほかにもこのような例は多々ある。

大成功したものも、数少ないがもちろんあって、カッチェン+スーク+シュタルケル、以上3人のトリオでのブラームスだ。

古の有名な百万ドルトリオも、残された録音を聴く限り、成功したとは思えない演奏を見かける。

ウイーン八重奏団をはじめ、オケのメンバーで構成される室内楽ユニットは、臨時ユニットでさえ、成功する場合が多いようだが、もともとユニットが成立しているのだから、それなりに素晴らしい演奏が少なくない。

たとえばベルリン弦楽六重奏団、ゲヴァントハウスSQ、などなど。
最近は学生時代からユニットを組んで、室内楽専門プロとして活躍するといった風潮も多くみられ、こうした若い人たちの中にも、優秀なユニットは多い。

たいていは指揮者がいない室内楽では、やはり気心が知れた・・・阿吽の呼吸とか、つーと言えばかーというか、酸も甘いも心得たというか、弱点を補完しあい、長所をより伸ばしていけるような、そんな小集団でしか、たぐいまれな音楽性で見事なアンサンブルに培われた、素晴らしい演奏を聴かせてくれる可能性はそんなに多くない。

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小生はこの曲を、ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団アロス・ポープル(指揮&Vc)という、チェロ奏者が指揮者を兼ねる珍しい演奏の最新録音でも聞いている。
メンデルスゾーンBOXセットの中の1枚だ。

そうとうに荒々しい演奏で、最初はまるで素人の演奏のようだと思ったが、何度か聞くうちに、このユニットのメンデルスゾーン解釈が実に異質で、その結果あのような驚嘆してしまうほど過激な表現をしているのであろうことに気が付いた。

もともとこの曲、緩急が入りままじる、少年の希望に満ちた青春の夢や希望と落胆、青春の息吹のような、感情の変化表現したと、長い間言われてきた、メンデルスゾーン齢16歳の時の、天才的傑作である。

しかし上記ユニットの演奏は、そんな甘い少年の夢ライクのものを表現するような、今までの演奏スタイルを拒否するがごとく、非ロマン主義…適切ではないかも知れないが、ネオ表現主義的な音楽表現を、いたるところで仕掛けているのだ。

緩急の急は、今まで経験したことのないほどの圧倒的なスピードで、まるで何者かから必死に逃れるかのように表現される。
このようなスピードで、しかも急変するのだから、演奏は非常に困難を極め、ビブラートをかける暇もないから、音色も物凄く先鋭に聞こえ、優雅さなどはどこをとって見ても微塵もない。

これだけのスピードとダイナミクスそしてアインザッツを満足したうえでの表現をするには、指揮者の存在を必要としたのだろう。

おもに第1Vnで奏される、通常は甘味に響くメロディは、優美でも甘くもなく、彼らが醸し出す音はひたすら鋭く尖っていて戦闘的だ。
多分意識してわざとそうしているのだと思う。

急激な変化点が、随所にちりばめられた音楽で、なおかつものすごく荒々しく聞こえるが、それはこの曲あるいはメンデルスゾーン解釈の結果によるものだろう。

彼等はこの曲を、若きメンデルスゾーンが背負った、ユダヤの出自、裕福な身にもかかわらず、いつも心のどこかに付きまとい、決して消えることのないユダヤの血・・・そのような宿命を持つメンデルスゾーン、名前まで変更せざるを得なかった人間が、作った曲であるという認識の上に立った、解釈をしたのではなかろうか。

当時から存在した、ゲットウのユダヤ人たちの生活ぶり、それとはあまりにも違う暮らしぶりの自分は決して自己肯定できない、若き日のメンデルスゾーンの心象の発露がそこにある。

通常なら、そして普通の暮らしをしている普通の多感な16歳の少年、まだ夢見る年頃であるはずが、ユダヤ人という宿命を背負った、少年メンデルスゾーンが心の底に秘める、得体のしれない感情の発露が内在しているという新解釈をしたように、演奏から推測できるほど、異質で激しい音楽を作っている。

ウイーン八重奏団の演奏のように、美しいロマン主義的な感情表現の演奏とは、真逆の演奏である。

それでは、スメタナSQ+ヤナーチェクSQ盤では、どのような演奏が繰り広げられているのだろうか。

それまでに聴いてきた、あまりにも違う二つの演奏のことがあるから、非常な興味を持って聴いてみた。

まず驚いたのは、まるで相当な年月連れ添ったメンバーでのオリジナルユニットによるような、正確無比なアンサンブル、お見事の一言に尽きる。

間の取り方、タイミングも、緩から急に移行するアッチェレランドも、随所に入るアクセントの位置もすべてが寸分違わない。

付け焼刃であるにもかかわらず、さすがは実力あるSQ同士のユニットだ、高レベルの満足度を得ることができ、その精密さはまるで四重奏のように聴こえることがある。
経験の中では、かつてどこにもなかったような、大成功の画期的なユニットといっても過言でない。

よくぞ期待をよい方向に裏切ってくれたものだ。
この企画を実施し、ユニット成立に力を入れたプロデューサーに感謝しなくては。

曲の解釈らしきものは、ロンドンフェスティバル管メンバーのユニットほどは、異質ではないが、それでも陰影強弱緩急の変化を強めにつけた、特にマイナス面の表現が印象的で、青春を謳歌する少年とか、少年の将来の夢と希望いった、従来のメンデルスゾーン解釈:明るい未来賛歌に終わらせることは決してない。

もう少しで演奏が破たんするかのような、ロンドンほどの、予想を大きく超える劇的過ぎる表現ではなく、あくまでも音楽性を根っこに持つ。
明るさの中に常に潜む隠れた暗黒面を追求し、弦の音色と音魂で表現している。

独立して主メロディを弾く第1Vn、果たしてどちらのSQの奏者なのか、などの詳細は明らかではないが、DG録音ということから考えると、スプラフォンに多くの録音を残したスメタナSQではなく、DECCAにも録音を残したヤナーチェクSQがリーダーシップをとっていて、したがって主はヤナーチェクメンバーである可能性が高いと推測した。(どうでもいいことだが)

この演奏を聴いて、特に小生が気付いたことがある。

あくまでも耳を頼りの推測であるが、・・・・

2楽章は、短調のラメント風の音楽で開始されるが、これはユダヤの嘆きの歌なのか。
中間部になると、悲しげな音楽は、ダンスのようなリズムの音楽に変化するが、これは多分ユダヤ民謡と思しきものからの引用ではないだろうか。

1楽章の終了近くには、聞き逃してしまうぐらいほんの束の間のことだが、Vn協奏曲の最初のソロの部分と同じフレーズが使用されている。
つまりこのころから、協奏曲で使用したモチーフは、すでにメンデルスゾーンに存在していたことになる。
この実に悲しげな、ユダヤの匂いがどこかしこで漂うようん、ラメント風のフレーズ、なぜVn協奏曲のソロが、最初に奏でるのか、ということにも、なにか重要な意味や秘密が隠れているように思われる。

おそらくメンデルスゾーン少年は、町の周囲のゲットーで暮らすユダヤ人たちの、祖先から伝わる民謡を聴いていたのだろう。

この「マイムマイム」に類似しているユダヤ民謡は、2楽章の半ば以降を支配するのだが、前半のラメントとユダヤ民謡と思しき者を使用した、メンデルスゾーン。
彼に一生付きまとう、ユダヤの陰という心象が、何となくわかりそうで、この曲の新しい解釈をはかり知ることができたようだ。

よほど拘ったのか、民謡風フレーズは、あれだけ登場し印象的な2楽章に引用するだけに終わらず、3楽章にも随所で顔を出し、しかもフーガを使うことで、なお一層印象付けているから、メンデルスゾーンがこのフレーズの引用に、相当力を入れたということがわかるだろう。

2つのSQのユニットの演奏を聴くと、彼等の胸に去来したものは、ユダヤ民族とチェコがいずれも、歴史的に置かれてきた立場と、ダブルものがあったに違いない、などという妄想に駆られてしまう。

スメタナ+ヤナーチェク盤は、さすがにDG、1959年という古い録音にもかかわらず、かなりの品質である。

生涯聴き続けたい、音盤の中の重要な一つである。
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by noanoa1970 | 2011-01-24 14:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)