探し物

ない・ない・ない・・どこを何度探してもない。

3日前から探している。

その1枚のCDは、カラヤン/BPOのブラームス交響曲1番の最後の録音。

1988年ロンドン公演ライブ録音のこのCDは、鮮烈で悲壮感が漂わんばかりの演奏内容であったし、カップリングのシェーンベルクの「浄夜」も、世紀末ロマンチシズムの極致を表出した演奏の印象ではなく、今まで聴いてきたどれよりも、カラヤンらしくない、表現主義的な演奏の記憶があった。

そのCDを探して、3日が建つのだがどうにも発見できない。

小生は非常に怠け者である。

だから引っ張り出したCDやレコードは、決してもとの場所に戻らない。
そのせいで過去何度も探し物をしたことがあるのだが、そんな無駄な時間を使いながらも、一向に反省し、キチンとしようとは思わない…というより、できない。

昔はすぐに取り出せるように、いろいろな並べ方を試みたこともあった。

作曲家別、演奏家別、メーカー別、ジャンル別などなどであったが、元の場所に戻さず、適当な場所に戻すのだから、すぐにゴチャゴチャになり、無駄だと分かり、それらの行為をキッパリやめたが、その代償が時々やってくることとなった。

時々というのは、不思議なことに、ゴチャゴチャになっていても、おおよその勘が働き、多分7割ぐらいは保管場所を推定できるから、そんなには苦労はしないが、今日の話のように、どうしても何をしても見つからないものが、当たり前だが存在することになる。

それも聞きたいと思って探すと、目指すものだけがどうしても見つからないという、まことに皮肉な結果となることが多い。

3日前から心当たりの場所を探しているが、一向に見つからないから、最終的にはすべてのCDをチェックする羽目になり、昨日も1度に掴めるだけを、左手でつかんでそれを1枚ずつチェックしたのだが、あいにく見つけられずに、それを3回も繰り返してしまう羽目となった。

その時には、キチンとしないことを後悔するのだが、依然として改善はしないし、できない。

1枚ずつのチェックは、相当労力が必要だが、聴きたいとの欲求のほうが強い、今回の場合などは、諦め切れず何度でも探すということになる。

しかし3日に渡り、しかも数回のチェック…1枚1枚するのだから、見つからないわけがないはず・・・なのに見つからない。

棚の奥に隠れてはいないか、どこかに落下してないか、PCソフトの中に紛れ込んでないか、などの疑いが脳裏をかすめるから、かなりの時間をかけて探すのだが、一向に見つからない。

聴きたい欲求はますます高まってくるのだが、致し方なく何回かのトライの果てに、諦めることにしたが、どうにも腑に落ちないイライラは、続くままであった。

それで今日、一番上の棚の真ん中あたりに、保管場所の目星がおおよそついている、モニーク・ド・ラ・ブルッショルリ/パウムガルトナー指揮モーツツァルティウム管のモーツァルトのP協奏曲20ば番・23番のCDを取り出そうと、腕を伸ばし数枚掴んでチェックしたところ、その中に3日前から探していたカラヤンのCDがあるではないか。

それを引っ張り出して、なぜそこにあることに今まで気が付かなかったかを振り返ると、
大いなる思い込みのせいと判明した。

実はこのCD、TESTAMENTという、往年の演奏家の影の録音の復刻で知られる、ファンにとって誠にありがたい存在の発売元である。

小生も何枚か所有しているが、そのCDジャケットといえば、どれもほとんど共通しており、非常に似通っている。

小生はクレンペラーの第9…これは正規盤のゲネプロバージョンといわれている録音、を所有するが、このジャケットとカラヤンのジャケットは、あまりにも雰囲気が似ているため、カラヤンを手でつかんでいながら、これはクレンペラーだと、勝手に思い込んでいたのが原因であった。

でも、いいわけではないが、これまでの経験で言えば、思い入れの結果入手した音盤だから、ジャケットで見誤ることなんかは、絶対になかった。

しかし昨今の格安CDの登場の結果、それほど塾考することなく、入手してしまうことがある。

だから、1枚1枚チェックしている最中に、「こんなCDがある、あんなCDもある」と、購入の記憶がなく、今までその存在すら忘れていたものを、発見することがあった。

それで思ったことは、キチンとならべて、CDを保管している場合は、聴きたい曲をすぐに取り出せるメリットこそあれ、聴きたい曲ばかりに集中することになるから、そうでもない曲の存在は、自然に忘れられていきがちで、棚の陰に埋もれてしまうことになりかねない。

また、すでに所有していることを忘れて、同じものをさらにもう1枚購入するなどということも、なくなるはず。(比較的コレクションが多いファンの方はだれしも経験があるようだ)

CD管理がズボラであることのメリット、実はここにあって、探すという行為の中で、忘れられそうな存在のものを再発見できるということだ。

そんな合理化をすることで、過去の苦い失敗があるにもかかわらず、依然として、改善をしようとしない小生で、むしろ探し物を楽しむという域にまで達しそうな昨今である。


ちなみに思い込みのジャケットは
d0063263_134641.jpg

急いでチェックするから、思い込みを見破れなかった。

先ほどからカラヤンのブラ1と浄夜を聴いているが、数あるカラヤンの録音の中でも出色の出来と思う。

最晩年になってから、ようやくこのような境地になったことは、カラヤンらしからぬこと。
BPOもカラヤンの指揮ぶりに、何かを感じ取っていたのだろうか。

凄まじい音を響かせている。
ティンパニーの魂のこもったような音にもそのことが象徴されているようで、ため息吐息さえ感じる弦パート、哀愁の木管、咆哮し咽び泣く金管。
どれをとっても素晴らしい渾身の演奏である。

こんなカラヤンを聴けたことは実に幸せなこと。

アンチカラヤンの方でさえ、この演奏を聴けば、思わす唸ってしまうことだろう。

素晴らしい!!

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by noanoa1970 | 2011-01-09 13:17 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by drac-ob at 2011-01-09 14:04 x
これはやってしまいますね。というか、僕もCDや本の整理が全然出来ず、ここに書かれているようにアルファベット順だとかレーベル順だとか、いろいろ順列を考え棚にしまっても、結局聴きたい(読みたい)と思うものがアルファベット順になるはずがなく、手当たり次第に取り出しては適当にしまいこむため迷子になるCDや本が後を絶ちません。それでもCDはACCESSで整理しようとしましたが、テーブルだけ作って放置、全然まとまりません。最近は必要なものはそのうち出て来ると投げやりになっています。
Commented by noanoa1970 at 2011-01-09 16:28
drac-ob さん
同輩がいて安心しました。笑)
それにしても、皆さん一体どのように管理されているのでしょうか?在庫数を減らすために、気に入らないものを売り飛ばして、常に手持ちの数を制限するなどしか思いつきませんが、そんなむごいこともできないでいます。それでこのブログ内容のように、ノー管を合理化することの救いを求め、都合の良い答えを得たわけでした。
Commented by HABABI at 2011-01-10 04:38 x
おはようございます

我が家では、クラシック音楽のLPは年代ごとに作曲者別で並べ、さらに各作曲者ごとに交響曲等ジャンル別にする、という実に小生らしくない優等生的管理をしています。CDは、演奏家別、特定のテーマ別、販売会社やシリーズ別(ケースの外観がそろっているもの)・・・箱物も多いですし。
CDの方は、やはり時々見つからず慌てます。過去に1枚だけ遂に出て来なかったことがあり、それをどうしても持っていたかったため、それがきっかけでインターネット・オークションに参加するようになりました。結局、そのCDはずうっと後に、新企画として箱物で出た時に新品で入手しました。
LPは、小生の寝室に本棚5列+αでおいてあり、一応転倒防止のつっかえ棒を付けていますが、大地震の際にはどうなるか分かりません。
Commented by noanoa1970 at 2011-01-10 06:38
HABABI さん
おはようございます。
しかしお早いことで、気分が前向きに乗られていますね。
ところで、音盤の管理のお手本がいらっしゃって、小生非常に恥ずかしい思いです。これも幼いころから鍛えられてきた性格によるもの、ご両親の躾の賜物が強く影響しているのではないでしょうか。小生過去にも、ドビュッシーの前奏曲を探してきましたが、見つけることができなかったのですが、震度4の地震の際に、棚からあ落ちたものの中にそれを見つけたときは、地震の恐怖感よりも、強い思いがしたことがあります。
かつて音盤とともに、棚を占領した本は、ほとんど友人が持っていきましたので、あまり残っていません。本も棚に収容していた時代は、相当な荷重がかかっていたはずで、つくづく、棚というものの頑丈さを認識しました。本は譲渡できましたが音盤はそうすることが絶対にかなわず、いまだに増え続けています。LPの比率が極端に少なくなったのは、荷重が減ってよかったのかもしれません。CDケースも薄いものを使いただいて、しかも解説をすべてネットで読むことが可能なように、していただければ、おそらく今の半分ぐらいの収容幅に収まるのではないでしょうか。