パーヴォ・ヤルヴィの運命交響曲雑感

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年末に録画した音楽番組より。

2010年11月のNHK音楽祭2010「偉大なるドイツ3大B」の再放映。
ドイツ3B・・・かなり古い言い方であり、小生が学生時代に主催した、レコードコンサートの呼び込みタイトルだったことを懐かしく思い出した。

その頃・・・1960年代の後半から70年初期は、後期のビートルズがものすごい勢いで流行しており、クラシック音楽専門の研究サークルにもかかわらず、ビートルズを熱心に聴く者が少なくなかった。

それで音楽史上の3大Bを、ベートーヴェン、ブラームス、そしてビートルズであると言って巾からぬ奴も出現した。

話を戻すと、番組は・・・
バッハのロ短調ミサをアーノンクール。
ブラームス3番4番をアンドレ・プレヴィン。
ベートーヴェン6番、7番をズービン・メータ。
そして5番運命とブラームスのVnコンチェルトをパーヴォ・ヤルヴィー&ジャニーヌ・ヤンセン
(Vn)。

以上の超有名曲の豪華キャスト公演であるからかなり期待をして録画しておいたものだ。
おまけにBS-h、サラウンド5.1CHの高音質だから永久保存版となろう思いであった。

その中から本日は、最近はあまり聴く機会が少なくなってしまった、ベートーヴェンの「運命」交響曲の視聴記をUPすることにした。

老若男女だれもが、その出だしを必ず知っているほど、ポピュラリティに富み、同時にベートーヴェンの交響曲そればかりか、ソナタ形式の交響曲の代名詞的存在、すなわち集大成といっても過言ではない「運命」を、其々の指揮者がどのように解釈し、表現するのかは、クラシックファンであれば、大変な興味を喚起されることの1つだ。

今回のNHK音楽祭では、なぜか超有名曲ばかりが選択されているから、実力派の其々の指揮者達も相当入れ込んだに違いない。

大まかに言ってしまえば、多くの楽曲の中でとりわけ「運命」という、絶対的名曲の演奏をするという行為そのものが、指揮者のほとんどの特質を物語ってくれるように思える。

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ヤルヴィ率いるオケは、 ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団。
知られざるオーケストラと思ったら、ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団が名称を変更したものと分かり、前任指揮者ダニエルハーディング時代に、彼の指揮でブラームスの3番をFMで聞いたことがあったことを思い出した。

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その時にはあまり実感できなかったが、今回映像で確認すると、ざっと50人程度の少人数のオケで、変形対抗配置、変形というのは、3人しかいないコントラバスが向かって左最後尾に配置され、しかも第1Vnとの距離を相当取った配置だ。

そして、なんとティンパニは、向かって一番右、第2Vnの後ろに位置していたから、まずはオケの配置に驚く。

少人数だから、一番音響がよく通る配置を試行錯誤した結果であろうか。

使用楽譜は多分ベーレンライターであろう、そして第3楽章のリピートはなどと、音楽が始まる前から、いやおうなしに、興味はさまざまに湧いてくる。

若い人と女性の比率が高いようだが、発祥時は音楽大学の学生で占められていたといい、創立が1980年と若いオケだから当たり前といえば当たり前か。

ヤルヴィは、登場するや否や、あまり時間をおかず開始の合図をし、あの有名すぎる運命の冒頭は、いままで経験したことがないような、速さとともに最初の「ジャジャジャジャーン」をかなり短めにし、しかも次の「ジャジャジャジャーン」との間が殆どない、すなわちジャジャジャジャーン・ジャジャジャジャーンを一呼吸で表現した。

たとえば長く長く響かせ、間を長くとった2呼吸のブルーノ・ワルターの表現とは、まったく反対の、非ロマン主義的な、言い換えれば超モダンなスタイルの冒頭で、運命を開始したのであった。

かつてこのような表現が、なかったわけではないので、それほど驚きはしなかったが、このようなスタイルの場合、聴き心地がよくないことが多かった経験があるから、小生の好みからは、外れることとなっていた。

テンポはかなり速めで、特徴的なのが、オケのアクセントのつけ方だ。

小節の頭か終わりにアクセントを置いた演奏が多い中、これがピリオド奏法の特徴であろうか、ヤルヴィは、真ん中にアクセントを置いているように聞こえ、少ない人数にもかかわらず、出てくる音響はかなり強力だ。

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オケの全員の演奏の姿は、体全体で音楽を表現し、時には感動するぐらい、前傾姿勢がものすごく急なものもいるほど、…全身全霊の姿勢を見せていた。

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そして多、分弦のボウイングが通常とは違う場面があったようで、そんなことも音を効果的に響かせるための工夫だったようだ。

もちろんノンビブラートであることは言うまでもなく、総合的にピリオドアプローチの演奏スタイルであった。(ノンビビラートとは、まったくビブラートしないことでなく、必要最小限にとどめるとしておくほうがよいだろう)

比較的乾いた音でオケが鳴り響き、息を吸う余裕もないほど緊張に包まれた展開で、各パートの音があまり混ざらなく、パースペクティブに響く。

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トランペットとティンパニーは、オールドスタイルのものを使用しているし、コントラバスの弓も一部変わったものを使用しているが、モダン楽器によるピリオド奏法の演奏とみてよいだろう。

ヤルヴィのダイナミックな表現は、Pからffまでのレンジがものすごく広い。
ややもすると、ピリオド系の指揮者に散見される「間」の取り方の不十分さを、あまり感じなかったのは救いであった。

しかし・・・である
なぜにヤルヴィがピリオドで演奏したのか、その意図は演奏からはわからない。

ごく最近までクラシック音楽界を、少し騒がせた版の問題・・・ブライトコップフかベーレンライターかなどという2者択一時代は、もうそろそろ過ぎ去っていく時代に入ったのではないか。

新しい指揮者がこぞってベーレンライターで演ろうとする意味は、いったいどこにあるというのか。
新しい楽譜を使用することと、音楽の斬新性とは関係がないはず。

どうもこのあたりを勘違いしている、昨今の流行病は返す返すも残念で、ブライトコップフで堂々と勝負をかけてくれる指揮者が現れることを、小生は強く望んでいる。

小生の場合は、今もなお長く聞けているものは…(これは慣れのせいかもしれぬが)、すべてブライトコップフ版による演奏で、ほんの一時よいと思ったベーレンライター版による演奏は、聞き直すことが殆どない。

版の差による音、音響、音楽上の変化点よりも、解釈に基づくアゴーギグの差を感知するほうが、よほど楽しいことに思えるのだが。

しかしながら、ピリオド系の指揮者の中では、ヤルヴィは、音楽の質的に言うと、超モダンな指揮者のスタイルでなく、古き良きヨーロッパの伝統を引き摺ってこれた数少ない一人ではないだろうか。

アンコールのブラームスのハンガリー舞曲6番では、そのことが顕著に出ており、まるでウイーンナワルツを聞いているような錯覚を覚えるほどだったことを付け加えておく。

久しぶりに、これから彼がどのように変化していくか、見守るのが楽しみな指揮者に巡り合えた。
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by noanoa1970 | 2011-01-08 11:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by HABABI at 2011-01-09 05:41 x
sawyerさん、おはようございます

私も、これら一連(3B)の演奏会をBDに録画し、後で聴こうと、ほとんどそのままにしていました。BDを引っ張り出してヤルヴィの「運命」のところを聴いてみました。どうも、小生の好みではないようです。
このオケの響きとしての全体のものが聴こえて来ないようで、弦の各パート内の奏者の動きが意外なほど不揃いなところにも、それが表れているように思います。従って、音からのパワーを受けとめ辛く、しかも弱音重視のところがあるため、少しフラストレーションがたまります。旋律の歌わせ方にもハッとするところがあまりなく、しばらくすると慣れてしまい、大抵の場合次のところが想像されてしまう感じなのですが、実際に会場に居たら、もっと各パートの絡みが聴こえる等で、印象が違っていたのかもしれません。
アンコール曲の方が響きがまとまっていたように思います。HABABI
Commented by noanoa1970 at 2011-01-09 07:06
HABABI さん
ご覧になられましたか。

>弦の各パート内の奏者の動きが意外なほど不揃いなところにも、それが表れているように思います。

なるほど、鋭い指摘です。小生はオケメンバー全員が体で表現する方に、気を取られておりましたが、弦パートの不揃いはボウイング・・・ピリオドボウイングとそうでないものが混在していたのかもしれませんね。小生も手放しで評価はできないでおり、ヤルヴィはピリオド系統の指揮者の中でも、ましなほう…そんな印象でした。
でもまだ若いですから、将来は期待できるのかもしれません。
いつまでもピリオドアプローチの範疇に、いないことを願うばかりです。