ワルキューレ第3幕前奏曲考

ワルキューレの中でも、3幕の前奏曲:「ワルキューレの騎行」は、オーケストラ版にアレンジした単独曲でも演奏されるように、非常に有名なか所だ。

さて、この前奏曲だが、ほとんどが、馬に乗った女戦士の勇敢な姿を描いたように,勇ましく演奏される。

コッポラが「地獄の黙示録」のヘリでの戦闘シーンで用いたごとしであり、そのような激しい勇敢な演奏を聴くと、あのシーンがフラッシュバックさえして来る。

しかし、「前奏曲」とは何であろうか?
その様な問いかけをするなら、それは幕への導入部分であり、その幕がどのような話なのかを、かいつまんで説明するとともに、なおかつ前の幕との繋ぎの役目をもするのではないか。

その様な・・・前の話を思い出させ、次の話に観客を導入するための仕掛けが、幕前の前奏曲である。

さすれば第2幕最終部の内容は、おおよそ以下の通りとなる。

ヴォータンの命に反したことで、ヴォータンに追われて逃げるブリュンヒルデは、神々の黄昏で、生涯をともにすることになる、名馬で愛馬の「グラーネ」に乗って逃げ帰る。

第3幕は、ブリュンヒルデが、父ヴォータンの逆鱗に触れ、しかしながら同時に父ヴォータンの愛情に包まれ、やがてジークフリートとめぐり合うための、神族から人間族への回帰の過程が塗り込められている。

ともすれば、8人のワルキューレたちが、天空を天馬に乗って駈けめぐり、英雄の争奪戦を繰り広げているのが、第3幕の前奏曲だという解釈のもとに、激しく演奏されるこの音楽。

しかし、このシーンはヴォータンから追われ、愛馬を操って逃げるブリュンヒルデの必死な様と、長時間疾走し続けたグラーネが、いくら名馬とはいえ、精根尽きはて、息絶え絶えになりながらも、主人ブリュンヒルデのために、瀕死の状態で駈けてくる前シーンの再興藩部をも包括するべきなのだ。

コンヴィチュニーの第3幕の前奏曲は、金管のけたたましさも、名馬グラーネの足取りは、ただ疾走するばかりでなく、重く苦しそうで、ほとんどの指揮者が演奏するような、軽快さと激しさ、そして迫力はない。

楽劇の進行内容を無視すれば、「ワルキューレの騎行」は、勇ましく軽快で胸のすくような演奏もあり得るし、おそらく・・・小生もかつてはそうであったが、その様な演奏を求めたものだった。

音楽そのもののインパクトを考えれば、その様に迫力ある「ワルキューレの騎行」は、聴衆に受けるし、またその様な音楽作りが支持されたことは事実であろう。

しかし、2幕からの物語の展開をよく読み取れば、あのシーンは、最初は足取り軽やかに疾走する馬に乗ったブリュンヒルデが、疲れてきたグラーネを叱咤激励して、ヴォータンから逃げてくるシーンを内包しなくてはならないことが分かる。

足取り重いが、主人のために、ありったけの瀕死の力を振り絞って走るグラーネ。
そんなグラーネを思いやりながらも、なんとかヴォータンから逃げたいと必死なブリュンヒルデ。

人間界からワルキューレ姉妹のいるところへと逃げ戻る、その様な時間空間的距離は、馬に乗って天空を駆けるブリュンヒルデの姿の永遠性は、いかに神族でもも困難なことを、ワーグナーは知り尽くしていた。

したがってその経過を、前奏曲という形にして、2幕から3幕へのスムーズな進行の繋ぎとしたのであろう。

そのあたりをよく捉えて、表現したコンヴィチュニーの演奏は、「武骨」で、おそらくは「ワルキューレの騎行」と相いれないという判断をされがちであろうが、それはとんでもない誤解で、「前奏曲の役割」そして「楽劇の音楽」を心底わかっていた少ない指揮者の一人であると小生はその様に思っている。

コンヴィチュニーの音楽を、とてもよく象徴しているところとして、第3幕の前奏曲:「ワルキューレの騎行」の部分を紹介しておきたい。
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by noanoa1970 | 2010-08-27 10:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)