ブルックナー・・・その音楽的秘密の1つ

このところブルックナーを聴きこんでいて、思ったことがある。

よく聞きこんだ、たいていの音楽ならば、ほんの一部だけを聞いても、それが誰のどの曲の、どの部分なのかを推量できる。

コアなクラシックファンであれば、そのような人は相当の確立で存在するだろう。

しかし・・・ブルックナーは、この点で、ものすごく難問である。

似通った傾向の多いモーツァルトでさえ、どうにかなるものなのだが、ことブルックbナーでは・・・これは小生だけのことかもしれないが・・・その音楽的特徴が強烈だから、ブルックナーであることはわかるが、その部分が何番のどの部分なのかは、確信に至らぬことが多い。

かなりの時間の経過を見ながら、特異な特徴の一端を聴くまでは、推量できかねるのだ。

時には、そう思ったとしても、見事に推量を裏切られる羽目に、陥ることもある。

これはなぜであろうか。

1つはブルックナーデジャヴと、勝手に小生がネーミングした、同じような音型が作品を超えて、登場することだ。

しかも、厄介なことに、同一作品中にも何回も登場するから、始末が悪い。

ただブルックナーの音楽は、よく比較上に上がるマーラーと異なり、覚えやすく記憶に残いから、追従することが容易だ。

しかし、そうであるが、一部分だけ(その曲特有の個所に当たれば別であるが)、を聞いてその曲に御正体を明かすことは非常に困難なことが多い。

聴く人の耳にかなりハイレベルな親和性を持つが、その理由はやはりブルックナーデジャヴという言葉を使ったように、同じ曲の中、さっき出てきたのではないかと思わせると同時に、違う楽曲にも出てきたのではなかったか、という「既視感」紛いの錯覚かと陥ることがあり、其れがゆえに耳にとてもなじんむ音型の塊ということに尽きてしまう。

したがって小生は、いまだに2番から9番(そのほかは全く聴かない)の、ある楽章のある部分を混同してしまうのだ。

こうしてみると、ブルックナーの音楽には、あるテーマ性が感じられることになり、同じような経験は、分野こそ違うが、小津安二郎監督の一連の作品と共通点があるようにも思えてくる。

そして小津が描いた戦後の家族や、その人間模様では、登場人物の配役や、ましてその名前までが同じものがあり、台詞をかなり頻繁にリピートさせてリズムを作ることや、1カット1シーンで、長回し、話題が切り替わるところには、象徴的な何かを配置するなどといった手法は、ブルックナーの音楽語法とかなり類似するように思えてくる。

小生はいまだに・・・話の展開や登場人物の台詞はほぼ覚えているのだけれど、その作品名に迷うことがある。

ブルックナーも、同じような傾向にあり、この点は他の作曲家の作品群と大きく違うところだ。
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by noanoa1970 | 2010-08-08 15:37 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(4)

Commented by k_hankichi at 2010-08-09 20:22
小津とブルックナーの類似性。たしかに、言えて妙ですね。象徴的な何かを用いている、なども。小津を映画館で大画面で見てみたくなりました。そうすると、また、新たな発見があるような気もするのです。
Commented by noanoa1970 at 2010-08-10 10:42
コメントありがとうございます。
少しこじつけ気味となってしまいましたが、もう少し深掘りする日がいずれあると思います。小津の一貫したテーマはなんとなくわかりますが、ブルックナーの其れは、今もってよくわかりません、しかしいつか極めてみたいです。
Commented by gavo220607 at 2010-08-28 07:02
はじめまして
クラッシックは右耳が突然聞こえなくなってから熱心に聴くことはなくなりましたし
あまり マニアックにいろんなことを考える力もないので
おきらくごくらくで適当に生きてますが

こちらの 文章は字がとっても読みやすく
刺激になります

ああ 自分はマニアックになる力はないですが
マニアックな方のお話を読んだり聞いたりするのがすきなのです

体調がすぐれないと
パソコンの前にあまり座っていることもできなくなりますが
たまに 良いサイトに出会えるとうれしゅうございます。
ありがとうございました。
Commented by noanoa1970 at 2010-08-28 13:14
gavo220607様
コメントありがとうございます。
突然の右耳の難聴とのこと、御察し申し上げます。
小生も視力が、そして耳がかなり衰えてきたという自覚が、最近になってあります。タイプミスが多い小生ですが、なにとぞ我慢ねがいます。・・・見返しても見逃すことが多いので・・・
今後とも宜しくお願いいたします。