いくつかの場面

友人がプロデュースした「河島英五セルフ&カヴァー」アルバムは、非常に良い出来だった。

その中で、小生は「沢田研二」が歌った「いくつかの場面」が、特に忘れられない衝撃であった。
1975年のアルバムからのチョイスとあったので、youtubeで調べると、その音源があった。


いくつかの場面
作曲:河島英五
作詞:河島英五

いくつかの場面があった
まぶたを閉じれば
喜びにぐしゃぐしゃになった
あの頃 あの顔
淋しさに ふるえていた あの娘
いかりに 顔をひきつらせ
去っていったあいつ
泣きながら だきあっていた
あの人とのことを

まぶたを閉じれば
数々の想い出が胸をあつくよぎる
そしていつも心をはなれない
いく人かの人達がいた
できるなら もう一度
僕の回りに集ってきて
やさしく 肩たたきあい
抱きしめてほしい

いくつかの場面があった
まぶたを閉じれば
いつも何かが 歌うことを支え
歌うことが何かを支えた
野次と罵声の中で
司会者に呼びもどされた
にがい想い出のある町
有頂点になって歌ったあの町
別れの夜に歌った淋しいあの歌

まぶたを閉じれば
数々の想い出が胸をあつくよぎる
そしていつも心をはなれない
いく人かの人達がいた
できるなら もう一度
僕の回りに集ってきて
やさしく 肩たたきあい
抱きしめてほしい


沢田が感涙に咽ぶように歌っているからだ。

そして、その場面は以下の4分30秒あたりからを聞いてみると、よくわかる。



感涙に咽び歌うほどの、沢田の胸を居来したものはいったい何であったのか。

沢田が活躍したGS「ザ・タイガース」は、「1971年の日本武道館コンサートを最後に解散。
その後1981年11月に同窓会と銘打って1983年までの間再結成した。」とあるから、この音源が録音された1975年には、当時日本の音楽界で一世を風靡し数々のダイヒットを飛ばしていたGS,その中でもダントツの人気を誇ったグループ「ザ・タイガース」は解散していた。

ソロとなった当時、そんな過去の甘く苦い思い出の数々が、この歌を歌うことで、蘇ったのだろうか。

それにしても、通常の・・・プロデュース側の感覚では、多分「瑕疵」として 別テークを採用のが普通と思える、この泣きの入った・・・(音楽的には難がある)ものを、採用する度量と、勇気には感心してしまう。

また沢田は、近年の同曲の歌唱においても、涙腺が緩むような歌い方をしているから、よほどこの歌には思い入れがあったのだろう。

河島オリジナルの後に、沢田ヴァージョンを続けて聞くと、「いつも何かが 歌うことを支え
歌うことが何かを支えた」の歌詞が語るように、2人のアーティストの、歌い手としての生きざまをも感じるようだ。

[PR]

by noanoa1970 | 2010-06-16 13:10 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by K平 at 2010-06-17 20:05 x
平成の初めだったでしょうか、
弊社の別の者が 河島XXと言う会社と取引があり、
訪問したら たまたま 故英五氏がおられて、
「いつも弟が お世話になってます。」と 挨拶され
ここは 河島英五氏の弟さんの会社だったのかと驚いた
と言う話を聞いたことがあります。

タイガースのLPは ほとんど持ってますが、ジュリーと言うより
岸部修三が好きだったからでした。
ジュリーに興味を持ったのは、後期の 「都会」あたりからです。
彼がソロになった頃、私も京都に来て、タイガースの連中の
ホームグラウンドと言うこともあって、気にするようになりました。
「君を乗せて」~「危険な二人」位までが、好きですね。
こう言う企画盤の存在は 知りませんでした。
歌詞に 彼自身の人生が重なった気持ちは 理解できます。 
Commented by noanoa1970 at 2010-06-18 14:19
ジュリーと言えば、小生の友人のケーキ屋、浄土時の「大前開泉洞」のガソリンスタンドを挟んだ北側に実家があり、ファンが見に来ていました。小生はタイガースは、TVで見る以外は全く興味がありませんでしたが、(GSそのものに拒否反応を持っていた)今聞くと当時の懐かしさが思い出され、ほとんどのヒット曲が耳に入っていたのだと、感慨ひとしおです。今調べたら「加橋」在籍中のヒットしか知らなかったようですが・・・・