コンヴィチュニーについてわかった2.3のことがら

コンヴィチュニーとSKD(シュターツカペレドレスデン)の新世界、1959年ウイーンでのライブのCD(ニホンモニター株ドリームライフ発売)には、これまでにないほどの、丁寧な解説が記載されている。

コンヴィチュニーのプロフィールのコーナーでは、主コンヴィチュニーとゲヴァントハウス管弦楽団との親密な関係が理解でき、彼がいかに親分肌の人間指揮者であったかがわかる。
そして、来日時の様子・・特にかねてから言われてきた彼の深酒のエピソードの実態なども紹介された。

これはおそらくゲヴァントハウス管弦楽団でコンマスを務め、現在指揮者としても活躍する「カール・ポッセ氏」あたりの回想などからヒントを得たものだと推測するのだが、執筆は「吉岡豊紀氏」。

小生は10年ほど前に「クラシック招き猫」あるいは「クラシックCDコレクション」といったネット掲示板で、「吉岡伊豫守爛柯」という名前でHPを立ち上げ、ときどき掲示板にも投稿していたので、知っていた。
関西では知られたクラシック愛好家で、SPやLP初期の収集家でもある。

彼の文章で、小生が初めて知ったことが多くあったので、ここに書き留めておくことにした。
コンヴィチュニーについては、おざなりのプロフィールぐらいしか、今まで紹介されてこなかったから、こういう紹介は非常にありがたく、以前ボッセ氏の回想文が原語で書かれたものをスキャナーの翻訳ソフトで読んだのだが、10分の1ほどしかわからなかったが、コンヴィチュニーがパーティ好きで、楽団員を招いて飲み食いをよくさせていたことや、楽団員同士の喧嘩に、「お前たち、豚を食わせてやっただろう」といって」仲裁をしたことが何となくわかった。

さて
記述によると・・・・

コンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターになる直前、ライプチッヒはヘルマン・シェルヒェンをゲヴァントハウス管の精指揮者に招へいする動きがあったらしい。
シェルヒェンは、住居を移すことを嫌がって、その結果コンヴィチュニーがマイスター指揮者として就任したらしい。

それ以前の1933年には、フライブルグ市立劇場のシェフとなり、ブルックナー音楽祭ではブルックナーの交響曲とミサ曲全曲を演奏した。(30歳ほどの若手でブルックナー全曲は凄い)。

1935年にはブルックナー8番とブラームスのP協奏曲で、ベルリンフィルデヴューをしたという。

・・・・・まだ続く

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by noanoa1970 | 2010-06-13 06:24 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)