だいせんじがけだらなよさ

いったいなんだろうと思った方が多いだろう。

この言葉、さかさによむと「さよならだけがじんせいだ」となる。

寺山修司が作詞し、「時には母のない子のように」に曲をつけた田中未知が作曲をした。

小生は学生時代に、おまじないのようで、リズミカルなところもある、この言葉を聞いて、それが今でも記憶の隅に残っているのだが、カルメンマキの歌も歌詞の内容も記憶にはない。
多分ラジオでは流されていたのだろう。

寺山は「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう・・・」という彼のもっとも有名な詩もあって、この詩をなぜ作ったのか、小生にはわからないが、「また来る春は何だろう・・・の詩の最後には、「人生なんていらない」とあり、それは多分「さよならだけが人生ならば」に続いている言葉だと思えるから、一筋の希望がその時はあったのか、絶望的社会の中において、無理やり希望を見出そうとしたのか。

「だいせんじがけだらなよさ」は、言葉の遊びに過ぎないとも思えるが、さよならだけが・・・」の逆だとすれば、再び絶望感にさいなまれてのことなのか。

この歌は「カルメンマキ」そしてこの前亡くなってしまった「加藤和彦」によって歌われている。

加藤は・・・決して死者に鞭打つわけではないが、アイロニーな男だったようだから、寺山の詩ということではなく、逆読みの妙に興味があったのかもしれないが。

この詩の元ネタは、干武陵(ウブリョウ)の漢詩 「歓酒」を意訳したものの一部で。
作者は井伏鱒二であるという。

「この盃を受けてくれ 
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ」


今この瞬間を大切にしようという意味のようであるが、それをまたネタにしたのか、元ネタによったのか、寺山は「さよならだけが人生ならば・・・」そして「だいせんじがけだらなよさ」を作った。

YOUTUBEにあるカルメンマキの歌を聞いてみよう。埋め込みが無効なのでリンクする。

このころ・・・初期のカルメンマキは、まだポップフォークの歌い手の位置づけで、「ヤギにひかれて」とか「時には母のないこのように」が、マスコミにも取り上げられていた。

ハッキリした記憶がないのだが、60年代の後半の時代であった記憶がある。

寺山はこの詩を書いたときに…歌にするための詩、つまり歌詞であることは、ほぼ間違いないと思えるから、これは推測にすぎないが、念頭にカルメンマキ・・・彼女に歌わせたいと思ったのかもしれない。

そして小生はこの詩の前身とも思える「さよならだけが人生ならば・・・」は、浅川マキにおける不変の考え方ではなかったのかとも思っている。

そしてさらに、井伏の「さよならだけが人生だ・・花に嵐のたとえもあるさ」にさかのぼって、浅川マキの詩には「別れ」が付いて回り、それは淋しさ(寂しさ侘しさ)や、悲しみ(哀しみ)であると同時に、かすかな希望も存在し、それが始終入り乱れ、入れ替わる。

浅川がインスパイヤーしていたと思しき、寺山のこの2つの詩のうち、「さよならだけが人生ならば・・・」であれば、浅川マキが取り上げても相応しいと思うが、「だいせんじがけ・・・」は、決して浅川が取り上げるような詩にはなってない。

田中未知がすでに、ポップフォーク調に作曲したからとも思えるが、詩自体が「別れ」をテーマにはしているが、浅川の「別れ」とはその根本が異なっているように思うからだ。

やはりここは、生まれつき暗いものを背負ってきたようなところを思わせる、アンニュイな、そして美形のカルメンマキを想定して書かれた歌詞であろう。

黒人霊歌の「時には母のない子のように」は、小生はドヴォルザークが民謡を土台にして作った「わが母の教え給いし歌」とともに、いい歌だとかねてから思っていたが、カルメンマキの歌もそれらとほぼ同等に聞いた覚えがある。

drac-obさんのかつてのブログによれば、カルメンマキと浅川マキは、カルメンがマキ大姉さんと呼ぶような中で、浅川の持ち歌である歌から数曲をライブで取り上げたようであり、中でも「にぎわい」を歌ったのをライブで聞いたとの記事があった。

両者ともに、共通項は寺山修二となるのだし、きっと昔から顔なじみであったろうが、過去のデータからはそのようなものは読み取ることができなかった。

カルメンマキが今後も浅川の歌をもっと積極的に取り上げ、新しいアレンジで展開してくれることを切望してやまない。

浅川マキ追悼で全編浅川の歌のカヴァーでも出してくれないだろうか。
浅川の歌をまともに歌えるのは、「カルメンマキ」か「山崎ハコ」か、少々苦しいが、「中島みゆき」ぐらいであろう。
浅川の中後期の曲を歌いこなせるのは、この二人、カルメンともう一人「安田南」を挙げておこう。しかし安田も、もうすでにこの世にいないらしい。

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by NOANOA1970 | 2010-01-24 15:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(6)

Commented by 鶴屋千年堂 at 2010-01-25 09:28 x
(=゚ω゚)ノ毎度!です。

浅川マキ、カルメンマキと来れば寺山修二に唐十郎ですね。京大の西部講堂。紅テント。
1960年代に戻ってしまいました。

Commented by K平 at 2010-01-25 11:56 x
カルメンマキは、初期のフォーク時代から ロックに転じてからも
愛聴しておりました。「さよならだけが~」も持っております。
安田南は、TBSラジオ、パックインミュージックのDJだった
故林美雄氏が、原田芳雄「愛情砂漠」、緑魔子「やさしい日本人」
と共に 安田南を頻繁にPUSHしていた時に知りました。
デビューLIVE盤「SOUTH」は、私の35年来の愛聴盤で、
実家から拙宅に持って来た、選りすぐりの1枚です。
Commented by noanoa1970 at 2010-01-25 16:28
鶴屋千年堂さん
>京大の西部講堂
これも懐かしいです。MOJOWESTという文字が大きな屋根に書かれていました。
マキが京大の西部講堂でやったライブ「夜」は泉谷しげるが登場します。
Commented by noanoa1970 at 2010-01-25 16:35
K平さん
安田南は「お休み、悪い子たち」を最後の言葉いした「気まぐれ飛行船」というラジオ番組も、そして11PM(巨泉の時だったかに)出演していました。かなり上手な歌い手で、JAZZもポップスも、とてもよいアレンジで歌っていました。西岡恭クラが惚れて作ったのが「プカプカ」というゆうめいなはなしがあります。
当時は「飛んでる女」の代名詞的存在でもありまたね。
山本剛のピアノをバックに歌うアルバムがあるはずです。
Commented by K平 at 2010-01-26 10:14 x
SOUTHは まさにご指摘の 山本剛トリオをバックに ロブロイで収録されたLIVEです。BYE BYE BLACKBIRDとかの
JAZZスタンダードが中心です。ジャケット裏面の写真も
プカプカに出てくる女の雰囲気あります。
Commented by noanoa1970 at 2010-01-26 11:37
SOUTHでしたね。思い出しました。
安田の歌も山本のピアノも素敵でした。
安田が残した音源は実に少ないようで、残念なことです。