こんな風に過ぎて行くのなら

タイトルは、浅川マキの歌である。

   こんな風に過ぎて行くのなら
   いつか 又 何処かでなにかに出逢うだろう
   あんたは去ってしまうし
   あの娘も あっさり結婚
   今夜ほど 淋しい夜はない
   きっと今夜は世界中が雨だろう


この詩は今まで聞いていて、実はよくわからなかった。
それで、浅川マキが死んでしまったことを機会に、改めて聞きなおしてみた。

歌詞は覚えているから、すぐに文章化できるのだが、わからなかったのが、「こんな風に過ぎてゆくのなら」・・・・どうなるのだろうということだった。

「こんな風に過ぎてゆくのなら」その結果として、「いつか 又 何処かで なにかに出逢うだろう」に文章通り続くとすれば、意味不明となってしまう。

「今夜ほど淋しい夜はない」その理由が、「あんたは去ってしまうし、あの娘も あっさり結婚」にあるというわけではないようだ。

また「きっと今夜は世界中が雨だろう」は、凄い表現だが、単純に孤独感から来る淋しさの極限状態を表すのでもないようだ。

「いつか 又 何処かで なにかに出逢うだろう」という希望じみた言葉も、「さよならだけが人生」だから、すぐに「別れ」が待っている。

私の日常・・・こんな風に過ぎていく日常は、永遠に別れが付いて回ることだろう。
いつだってそうだった。
どうすることもできない。
それが私の人生だから・・・

私の人生は、世界中が涙を流してくれても変わりはしないし、慰めにもならない。
でも全世界がそうしてくれるとしたら、ほんの少しは変わっていくかも・・・
でもそんなことはあり得ないこと。
涙こみ上げる私の目は今宵、全世界が雨のように映っている。

浅川マキが死んでしまった後に聞いたこの歌は、わからないながらも、上のような解釈に落ち着いた。

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by noanoa1970 | 2010-01-23 10:44 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by pororompa at 2010-01-23 16:58
「いつか」 又 「何処か」で 「なにか」に出逢うだろう・・・、こんなわけのわからない歌詞があろうかと、漠然と私も思っていました。でも深く考えたことはありません。

noanoaさんの解釈を読みながら聴き直してみると、この歌は「日常の寂寥感」について、特にそれが身にしみる「夜」について歌っているように思います。

「今夜」が特に寂しいのは、「あの娘も あっさり結婚」、つまり友人の結婚の報を聞いた直後だからではないでしょうか。しかもその前に「あんた」との別れがあり、それが連続してやってきた。いつかまた出あう何かとは、寂しさをつのらせるそんな出来事の数々。

「こんな風に過ぎてゆく」日常を、「子どもたちが駆けてく道を」振り返ると、「長い長い影法師」の自分にこれまでの人生を見える。「いつかまた出あう何か」のせいで、「世界中が雨」のような気分の寂しい夜がやってくるだろうけど、それを乗り越えて生きていくしかないかなあと思う夕暮れ。一種の悟りはあるんだけど、でも夜の寂しさはやっぱり堪えるなあ、という歌ではないかと思います。
Commented by noanoa1970 at 2010-01-24 08:26
pororompaさん
>この歌は「日常の寂寥感」について、特にそれが身にしみる「夜」について歌っているように思います。
その通りだと、し負う性も思います。
そして「日常の寂寥感」は、「さよならだけが人生」だからではないかと・・・