浅川マキはやはり・・・

あまり知られてない存在だったようだ。
小生がブログリンクをしている人のブログで、浅川を取り上げたのはたった1人であった。

もっともクラシック音楽中心のブログが多いから致し方ないが、ネット上でも、浅川について個人的に書いているブログ記事は思ったより少ない。

理由はたくさんあるが、その大きな一つは、彼女の音源がほんの一部しかCD化されなかったことにあると小生は思っている。

(もちろんマスコミに登場しないことが、最も大きいだろうが。)

さらに当然と言えば当然なのだが、LPはすでにすべてが廃盤であるから、いまだに聞きたいと願う熱心なファンは、高額で数少ないオークションで入手するしかない状態だ。

入手できる金額はかなり高額だから、おいそれとは入手不可能な状態であるのも事実だ。
(5000円検討の値段が付いていて、競えばさらに上がることだろう)

ライブに参加できる数は、彼女が使用するライブ会場だから、そんなに多くの人数が聞けるわけではない。

よっていわゆる団塊の世代に代表される年代のオールドファンでも、いまだにLPで聞いている人以外は、そしてさらに若い世代に至っては、ライブ以外に彼女の曲を聴くチャンスはごく少ないと言える。

それでも浅川マキのコンピレーション盤が数種類現役だから、それを聞くことになるのだと思う。

昨日20代とプロフィールに書いてあったある人のブログの「浅川マキを団塊の世代から解放せよ」と題した、戦闘的なタイトルが目に入った。

内容をかいつまむと、団塊の世代の浅川は「フォークギタージャンジャカジャン」というとらえ方をしていたと書かれていて、80年代の浅川の、フリージャズスタイルを思わせる動画が貼り付けられており、70年代の浅川とは違って進化しているから、こういうものを聞かないで、浅川を過去の浅川…要するに筆者の言うところの、団塊の世代の浅川のイメージでとらえるのは間違いであるという論法だった。

たぶん紀伊国屋か京都大学西部講堂あたりのライブの一部がコンピレーションアルバムぬい収録されていたものを聴いてのことだと思うが、手拍子がアウフタクトではなく、伝統的な日本の手拍子である、そして観客の相槌の声が汚いとも評していた。

小生は「アメリカの夜」までは聞いているので、彼女の歴史は一応わかるつもりなのだが、たぶん筆者は、70年代のアルバムのほんの一部しか聞いてないことは容易に推測できた。

まぁ聞こうにも、すべては到底聞けないのだから・・・仕方ないが。

確かに80年代の浅川は、今までとはかなり変化の跡が見て取れるのは事実であるが、初期においても「フークギタージャンジャカジャン」の浅川は存在しない。

あえてそういう言葉を使用したのは、団塊世代そのものに対するアンチテーゼなのだろうか。

60年代後半から70代半ばごろまでの学生の浅川ファンの多くは、ちゃんとした意味においての「アンダーグラウンド」をある程度理解しており、その文化の中に存在する歌い手の一人に浅川マキという人間を見ていたのである。

また、暗いJAZZ喫茶で、一人モダンジャズやフリージャズを聞いていた人間の中にも浅川のファンはいる。
かといって団塊の世代が、みなジャズ喫茶通いをしたかといえば、そんなことはあり得ない事実である。

だから団塊の世代においても、浅川マキを全く知らない人のほうがはるかに多く、浅川マキと団塊の世代を直結した物言いは避けていただきたい。

サブカルチャーとか天井桟敷とかATGあたりに興味を持った人の中からの浅川ファンが多いのは事実であるが、そのような連中はごくごく少数であった。

だから「浅川マキを団塊の世代から解放せよ」という文字は、昨今の「アングラの女王」に代表されるような多くのマスコミ記者の記事そのものにいうべき言葉である。

アルバムは全体で1つの音楽だから、一部だけを聴いてのコメントや、事実を知らずに表面的な言動をしてしまう、おそらく若い世代のマスコミ記者に対してそういう言葉がふさわしいのだ。

そんな誤解がないようにするためにも、彼女のすべての音源のCD化が望まれる。

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by noanoa1970 | 2010-01-20 16:22 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by pororompa at 2010-01-20 19:17
団塊だとか「アングラの女王」だとかには辟易しますね。
「時代に合わせて、呼吸するつもりはない。」 というのはいい言葉です。全てを言い切っていますね。本人は悟りきっていたのでしょう。でも、寂しさはあったと思います。
せめて分かる人には分かるように、オリジナルな音源をCD化してほしいと、私も思います。採算が取れるならば。
Commented by noanoa1970 at 2010-01-20 19:51
コメントありがとうございます。
「寂しさには名前がない」と言う通り、やはり寂しさはあったのでしょうね。せめて好きな人と一緒だったら・・・・
マキには似合いませんが。