録音の良しあしと演奏そのものは・・・

クラシック音楽初心の頃は音盤購入選考の優先候補は「録音がよい」ことであった。
だから必然的にその時代の最新録音となるのだが、新譜だとレコードが2800円の時代だから、そうやすやすと買うことができなかった。

だから古い録音でも、比較的録音の評価が高いものを選択せざるを得なかったのだが、そんなレコードはは数少なかった。

しかしたくさんの音楽を聴きたい欲求のほうが強くなり、それで仕方なくその頃市場に出始めた「廉価版」に手が伸びることとなった。

安いものはモノラルで1000円、ステレオ録音でも1200円か1300円という価格設定だから、新譜1枚の値段で約3枚近いレコードが手に入る魅力は捨てがたかった。

さらにときどきだがいわゆる「穴あき盤」と言って、ジャケットの隅に小さな丸い穴が開けられて、そのレコードはバーゲン価格で販売されることを知り、そうしたレコードも探し回った。

つい最近まで正規の価格で販売されていて、中には最新録音のレコードもあった。
そんな中の筆頭が、ハイティンク/アムステルダムコンセルトヘボウの「展覧会の絵」。
フィリップスからの発売で、非常に録音がよかったし、カラヤン/ウイーンフィルのベト7・・・今ではDECCAから発売されているが、当時はヴィクターのリビングステレオで発売されていて、これもまた素晴らしい録音であった。

中にはSP復刻LPもあってゼルキン/オーマンディのベートーヴェン「皇帝」と「月光」のカップリングは、音は悪かったが、それでもかなり聴きこんだものだ。

当時の事情では、録音が多少良くないものも聴かないことには、音楽そのものの範囲が狭まってしまうというジレンマがあったというわけだ。

また新譜に至っても、今のように月に何百枚もの音盤が出て発売される訳はなく、10枚程度の新譜しか発売されないときもあったから、評論家たちもそれらを実際に聴いたうえで評論していたようだった。
しかし現在のような環境では、碌に音楽を聴かずに書いたとしか思えないような評論・・・というよりコメントが散見されるようになってきたのも、多分事実ではないだろうか。

必要時間から推測すれば、押して知るべしで、チョイ聴きかとんでもないのは全くその演奏を聴かずに、過去の延長から記述する輩も存在するようだ。

いささか話が脱線したので標題に戻すと・・・

「録音と演奏」における享受者側の受け取り方は、もちろんさまざまであるが、それでも、どうも録音が良いとそれに引きずられてその演奏内容がよい・・・言いかえれば録音のおかげで演奏そのものに、より多くの演奏がよいという付加価値がつくことがあるのではないか。

そんな気がしてならない。
SPやLPのモノラル録音に代表される、古い録音を聴いて、録音の悪さで演奏自体の良さを見出せない糸が若手の人に多いのは、多分経験知の不足そして耳の鍛錬の不足というか、慣れててないためではなかろうか。

そんな古い音の良くない録音を、今わざわざ聴く必要はない・・そのようなおっしゃり方もわからないでもないが、演奏と録音の相関関係は稀有であるから、往年の演奏録音に耳を傾ける時間を作っても良いのではないだろうか。

少し前であれば、そうした録音の多くを入手して聴こうとすると、出費がかさむこともあって、聴く候補としては、第2第3位となる傾向が強かったし、中にはそれらにまったく触れずにいらっしゃる方も少なくはないだろう。

費用対効果という側面がどうしても付きまとってきたが、今現在では「パブリックドメイン」というありがたい音源倉庫がアチコチでWEB上に散見されるから、多少のDLの手間をかけるだけで容易に往年の演奏を聴くことが可能だ。

今後は版権切れの・・・いわゆる古い録音は、CDなどのハード音楽媒体でなく、「ファイル」になっていき、無料で享受できるようになってきてもいるから、「まず聴いて」そしてそれから処々の判断をしたいものだ。

今まで培ってきた、自分の価値観が、かなり変化することもあるはずだ。

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by noanoa1970 | 2009-12-04 12:52 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)