森は異界の象徴

異界への恐怖と、その反対の憧れ・・・つまり非キリスト教社会に対する憧憬の念の象徴として「森」の存在があった。

シューマンはおそらくそのような情念から「森の情景」を作ったのではないだろうか。

「怖いもの見たさ」・・・そうフランスに「もう森にはいかない」という古謡があり、それは森のハーブが枯れたから森にはいかないという内容であった。

ハーブは古来、薬草でもありそして魔よけでもあったかあら、ハーブが枯れたときには森に行くことは禁忌だったのだろう。

先日「呪われた場所」について言及したが、今日は「予言の鳥」について少々。

古来「鳥」は冥界と現世を行き来する動物とされ、広く世界の諸民族において、鳥は霊にまつわる信仰対象とされてきた。

「鳥居」や、ノアの方舟の「鳩」、八咫烏、3本足の鳥、鳥葬、などなど「鳥」は翼をもち、自由に空を飛べるがゆえに、信仰の対象:異界と現世を行き来でき、また太陽に近い所を飛べるから、太陽信仰の、お使いあるいは使者としての地位を獲得していったものと思われる。

そのような異界と常界を結ぶ「鳥」の予言とは、一体何であったのだろう。

「森の情景」前9曲の中で、最も風変わりなこの曲、そも和声を聴くと小生は、シューマンから半世紀以上後の、神秘主義音楽や、ドビュッシー、ラヴェルの新古典あるいは印象派の音楽を想起してしまう。

シューマンは、かなり稀にシューマンらしさのない、言いかえれば斬新なトーンを聴かせることがあるが、この曲はその筆頭であろう。

この曲だけを抽出して聞いたならば、おそらく誰もシューマンが作った曲とは思わないだろう。

シューマンが、「予言の鳥」に、神秘的なものや異界を感じたか、それはロマン主義的和声を崩してでも表現したかった何かがあったからに違いない。

冒頭を単に鳥の鳴き声の模倣とみる、多くの見かたには小生は納得ができない。
よって小生は、異界と常界を行き来する鳥のしぐさ・・(飛んでいるような様子をも含め)、の表現と捉えることにした。

「森の情景」には、シューマンの様々な思いが、きめ細やかな手法に支えられて、それぞれの曲が趣の異なる音楽を作っている。

個と全体の調和が完璧な、素晴らしい作品だ。

まるで、短い言葉であらゆる世界を表現できる「俳句」のようでもある。

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by noanoa1970 | 2009-11-19 07:49 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)