事業仕訳の一駒より
インターネットで事業仕訳中継を見ていて、気がついたことがある。
今朝1番第3会場文科省の「次世代スパコン開発実施費用」についてのやり取り。
世界初・・・つまり世界1になりたいという科学者の想いに対して、費用対効果の側面で質疑が行われていた。
小生はこれを見て、ある種の・・・悪しき「社会主義リアリズム」のことを思い出していた。
科学者の想い・・・つまり世界初のスパコンの開発による、付帯的な価値・・・そのような付加価値を結果として認めなかったことに、いささか不満を持たざるを得なかったのである。
このような論理で、すべてのものが判断されては、たとえば「芸術」領域の・・・どのような費用対効果、あるいは経済的効果があるのか・・・などという切り口には、まったくそぐわない領域が存在すること、そしてそのことの大きな観点からの意味や価値がまったく無視されるのではないか。
科学者や研究者は、ダヴィンチの例をあげるまでもなく、小生には、ある意味芸術家と同じにも見えるところがある。
請求する側の文科省の役人も、あれこれ変な理屈を付けないで、純粋に世界初のスパコンを、日本人の手で開発したいという想いを素直にぶつければいいのに、そうしなかったことで、何か裏にあるのではなどと勘繰られてしまう結果となってしまった。
某議員が、2番ではいけないのか、なぜ1番でなくてはいけないのか、などと言う質問をしていたが、「世界初」に意味があるのに、そのことを他に価値観に置き換えることは相当困難なことだろう。
昔から優れた研究開発は、今まで誰もやらなかったことに挑戦することから始まり、その結果荒都留分野で様々な効果が得られていることが多いものだ。
だから最期まで意見がかみ合わないまま進んだが、このようなやり取りのまま、評価をしてしまうのは、相当問題があると小生は思う。
このように言う議員どもに限って、なになにが世界何位であるとかいう世界との比較を、普段から盛んに言っている。
経済情勢が困難な時期で、その結果日本人の意識構造が負に向かっている中、小生は世界初のスパコン開発ガ及ぼす影響力は、単に科学者の夢の実現にとどまらず、国内需要にも、ハードソフトの輸出など、中期的な効果は計り知れないと思うのだが、評価者の単視眼的なものの見方には、後味が悪いものを感じてしまった。
要求省の文科省も、研究者ともう少し具体的な打ち合わせをして、これだけは譲れない費用として、どれだけかという見積もりを具体的に出すべきであろうが、そのことが評価者には見えずらかったのが、そうした結果の原因となったのであろう。
役人の屁理屈のこねまわし・・・そのことがマイナスになってしまったから、源要求部門が素直に説明したほうが、ひょっとして結果がよかったのかもしれない。
by noanoa1970 | 2009-11-13 11:29 | トピックス | Comments(0)