パリそしてザルツブルグ1937年・・・ワルターのモツレク



ブルーノ・ワルターのモツレクを聞いた。

ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、エリーザベト・シューマン(S)ケルスティン・トルボルイ(Ms)アントン・デルモータ(T)アレクザンダー・キプニス(B)パリ・シャンゼリゼ劇場における1937年6月29日のライブ録音だ。

このレクイエムの録音は、長い間ワルターによって、封印されてきたという曰く付きのもの。
何か演奏に瑕疵があるのが原因かと思い、聴いてみたが、それはとんでもない間違いだと分かった。
それどころか、このモツレクは、ワルターの演奏の中でも、他の指揮者の手になるものと比較しても、相当優れている。

一体ワルターは、どうしてこの録音を封印してきたのだろうか。

あくまでも推測にしか過ぎないが、1937年という年は、ナチスドイツがオーストリアを併合する1年前の年。
オーストリア市民は、ナチスの支配下におかることを、すでにわかっていたのであろう。

このような社会情勢の中、パリでは「万博」が開催され、一方ザルツブルグでは音楽祭が開かれ、トスカニーニ、フルトヴェングラー、そしてワルターも参加した。

トスカニーニ最期のザルツブルグ出演であり、トスカニーニとワルターそしてクッツパーブッシュも参加してオペラを上演した。

この時期ザルツブルグ音楽祭では、下記のような主なオペラ上演があった。

モーツァルト「魔笛」:トスカニーニ指揮VPO、1937年7月ザルツブルク音楽祭
モーツァルト「フィガロの結婚」:ワルター指揮VPO、1937年8月、ザルツブルク音楽祭
ヴァーグナー「マイスタージンガー」:トスカニーニ指揮VPO、1937年8月ザルツブルク音楽祭

1937年は、ロシアではスターリンによる血の粛清が始まるから、世界的規模で文化そして歴史的エポックメーキングな年でもあったのだ。

万博のテーマは「近代生活における技巧と技術」で、第2次世界大戦前最期の万博で、しかもスペイン内戦のさなかであり、スペイン共和政府参加によるスペイン館に、ピカソの「ゲルニカ」が出展されたというし、ナチスドイツは第1次大戦敗戦後のドイツ復興にその勢力を傾けている時でもあった。

「ゲルニカ」とワルターのモツレクを関連付ける記述を、あるブログで見かけたことがあるが、この時期は世界の大混乱の第一歩と考えてもよいから、ワルターのある想いと「ゲルニカ」が合致したのかもしれない。

反戦のシンボル的存在の壁画「ゲルニカ」が、スペイン館に展示されたのを、多分ワルターは見たのであろう。

その可能性はかなり強いと思われるが、もしそうだとすればワルターの胸の中に去来したものとは一体何であったのかは、かなり高い水準で推測できよう。

ユダヤ人差別を受け、ナチスから迫害され、住んでいたオーストリアを奪われたワルター。
人間としても指揮者としても、人生の暗闇が見えつつあったことであろう。

そのようないわば暗黒の、ナチス併合によって、故郷を奪われる直前の中、ウイーンフィルのメンバーと演奏したのが、モーツァルトのレクイエムであった。
その演奏には、様々な思いが込められていると考えてもよいだろう。

モツレクをあえて取り上げた意味合いを慮り、実際に演奏を聴けば、確かにそういった一種独特の空気が漂っているようだ。

バセットホルンのテンポを極端に落とした暗い音から、「ラクリモサ」・・・(小生はかねてからモツレクは「ラクリモサ」で、聴くのをやめている)・・まで、深い悲しみそして怒りに似た何かが満ちすぎていて、ワルターの優しい温かいモーツァルト、あるいは死者のために祈りをささげるといった本来のレクイエムは聞こえてこない。
この音楽からは、救いやこの世の人間の祈りは聞こえない。

苦渋に満ちた自分たちの、どうしようもなくやる瀬ない運命を、まるで呪うかのように聞こえてきてしまう。

1音1音を噛みしめて歌う合唱と、重たいテンポで終始する音楽は、逃れたいが逃れられない運命への呪詛である。
「怒りの日」は抑えきれない気持ちの表出なのか、思いの丈を早いテンポでぶつけていく。

この曲の聴きどころの1つ「ラクリモサ」では、あえてゆったりとしなく、哀愁を帯びない演奏をし、最後の「アーメン」は、唐突なく終わってしまう。
いつもの、そしてこの録音以外のワルターでは、決してそんなことはなく、十分に合唱を歌わせるのにも関わらず。

封印の理由を音楽技術的に推測すれば、ティンパニーの打音のずれとホルンの音程の悪さ・・・これはウインナーホルンであろうからいたしかたないのだが・・
それ以上のものは見当たらないし、これらとて、この音楽に悪影響は決して与えていない。

あえて封印の理由を探れば、やはりワルターのこの時の音楽と対峙する時の心境。それがいつものそれとは違い純音楽の立場からは遠いところにあったからではなかろうか。

ワルターは、モーツァルトのレクイエムに、ひょっとして「反戦」の意味を込めたのはないだろうか。

「ゲルニカ」とワルターのモツレク演奏は「反戦」で共通するのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2009-11-10 11:14 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by こぶちゃん at 2009-11-10 13:40 x
反戦へのすごい考察ですね。
マーラーに見出され、かつてのハプスブルグ国家で成功を収めていたワルターはヒットラーの台頭と共に運命を歪められました。
1937年から亡命に至るまでは相当に辛かった時期であろうことは容易に想像がつきますし、晩年コロンビアに遺した優雅な演奏とは、凝縮力というか緊張感みなぎる覚悟が聴こえてくるのかもしれません。
有名なマーラー9番も歴史的な名演なれど、頻繁に聴くには私でさえ心が痛み辛いですから、本人には思い出したくない時代なのかもしれませんね。
Commented by noanoa1970 at 2009-11-10 14:33
まさに「音楽家に歴史あり」
その証明のような演奏でした。