松の木々が知っている物語

昨日に引き続き、BAXの交響詩から・・・

「松の木々が知っている物語」を聞いた。

ケルトの神木は」樫とも榛ともいわれることが多いので、「松」がどのように扱われたのか、興味がわいてきた。

「松」は学名がPinusといい、松:pineを意味したラテン語の古名であるというが、ケルト語で山を表す pinが語源とされる。

つまり古代ヨーロッパでは、ケルト文化が思いのほか、その生命を維持していたことになり、イタリアの、あのレスピーギの・・・アッピア街道沿いに植えられた「ローマの松」も、その出自はケルトに通じる可能性がある。

「ピノキオ」も、松の木で作られた人形なのかもしれない。

このような例でもわかるように、古代ケルトの及ぼした文化的影響は、広くヨーロッパに根付いており、古代ギリシャ、ローマにもその影響は及んだと予想がつくことである。

広葉樹は確かに生活そのものに貢献する樹木ではあるが、冬になれば枯れてしまう。
ケルト人は広葉樹とともに、常緑樹の松を、冬でもかrてることのない剛毅の象徴として尊重した。

薪としても、またマツボックリは簡単に火が起こせるから、それをため込んでおき、生活に利用したものと想像されるから、やはり両方の意味でケルトの神木的存在であったのだろう。

「古代欧州では常緑の松は神秘的で恐れを感ずる神であって、松かさは魔除けとして考えられていた」という記述も見受けられるから、やはり、ケルト文化の残照としての「松」信仰があるのであろう。

わが国でもケルト同様、松に対する愛着の度は、かなり激しいものがある。

「松明」と言うがごとく、松の木で明かりを作るなど、実用面でも活用方法は多く、盆栽などの趣味的観賞や、玄関わきに五葉の松を植えて、魔よけとする文化もある。

「松の木々が知っている物語」とは、ケルトの歴史であり、それは今ではすでに忘却の彼方にある話・・・一部は神話や伝説になって残るが、太古から連綿と生きながらえてきて、今も枯れることのない、「松」は、古代ケルト民族の喜び悲しみが会い交じった歴史をかたるようである。

BAXは多分そのような思いをこの曲に秘めたのだろうと、想像をたくましくさせるものである。

縄文杉ではあるまいし、実際にはそんなことはあり得ないが、常緑樹の松には、永遠に枯れることのない、数千年の寿命がる、そんなことを思わせるようなところが、確かに存在する。

松の枝がこすれあい、ざわめきを立てているかのように始まる音楽だが、この交響詩を単に、自然を描いた音楽とだけ解釈することには、どうしても合点がいかない。

土俗的な・・・ドルイドを彷彿させるようなリズムも聞こえてくるし、異教徒の進行から祖国を守るための、戦いを前にした兵士たちを鼓舞し、勇気づける音楽のようにも感じるところ。

兵士たちの心に宿るのは、祖国の父母兄妹、そして恋人の姿であろうか。

幼いころから耳になじんだあの歌が聞こえてくるが、突然それは進軍ラッパに取って代わる。

いく時が過ぎ、戦闘の後だけが残る。
若い兵士たちの姿は、今はもう見ることができない。

ただ風だけが吹いていて、台地は今も変わることがなくそこにある。

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by noanoa1970 | 2009-10-28 10:30 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)