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アッシャー家の崩壊

ポーの生誕200年だからというわけでもないのだが・・・・

「アッシャー家の崩壊」の訳文をネット上で発見できたので読んでみることにした。

天然痘かチフスに感染した、アッシャー家の兄妹の住む家は、恐らく17世紀ごろ建てられた古い石造りの館。

無気味な沼と木立、そして蔓植物で覆われた、陰鬱な湿気とカビ臭さを放つ異様なところだった。

そこに手紙をもらった古い友人が訪ね、館で過ごすうち、物語は奇妙で恐ろしげな展開となっていく。

ポーの短編小説はとても難解で、読み進むにつれて、単なるホラーではないように思えてくる。

小生は当初、「アッシャー家の崩壊」という邦題から、家系が途絶える話だとばかり思っていたのだが、それは間違い・・・いやそれも含めて、最後に本当に屋敷が物理的に崩壊してしまうのだから凄いことになる。

この家が数百年続く、文芸に秀でた金持ちの、いわば名門の家であったことは、以下の記述でもわかるというもの。
古くから方々に寄付をしていたとの記述もあった。


ごく古い家がらの彼の一家が、遠い昔から特別に鋭敏な感受性によって世に聞えていて、その感受性は長い時代を通じて多くの優秀な芸術にあらわれ、近年になっては、それが音楽理論の正統的なたやすく理解される美にたいするよりも、その錯綜した美にたいする熱情的な献身にあらわれているし・・・・


小生は上と以下の記述に着目した。
それはアッシャー兄妹が双子の兄妹であるということと、この一族は多分、代々近親婚で家系の存続を守ってきたのではないかという想像である。

近親婚の子供同士が結婚し、またその子供が結婚することで、純潔の一族・・・ものすごく血の濃い一族となって、それが続いてきたのではないか。

しかし今のアッシャー兄妹には子供ができなかったし、そればかりか、近親婚の悪影響で、兄妹そろって、精神に異常をきたしたのだと、小生は推測している。

また、アッシャー一族の血統は非常に由緒あるものではあるが、いつの時代にも決して永続する分家を出したことがない、いいかえれば全一族は直系の子孫だけであり、ごく些細なごく一時的の変化はあっても今日まで常にそうであった、・・・・

彼のいうところによると、それは生れつきの遺伝的な病であり、治療法を見出(みいだ)すことは絶望だというのであった。

彼を悩ましている特殊な憂鬱の大部分は、もっと自然で、よりもっと明らかな原因として、――長年のあいだ彼のただ一人の伴侶(はんりょ)であり――この世における最後にして唯一の血縁である――深く愛している妹の、長いあいだの重病を、――またはっきり迫っている死を、――挙げることができるというのであった。

この一家の呪いの元凶は、石造りや沼や壁や木立・・・そういった自然から呼び覚まされるものではなく、「近親婚」という・・・一族の純粋な血を守る意味では、それもある意味認めざるを得ないところではあるが、医学的にみれば、いずれ悪さが起きるところからのものであろう。

そしてさらには、キリスト教的見地からは、決して許されるべきではないことであり、この一族が非キリスト教徒の出自であったことを予感させる。

そして先祖代々の知恵で、そういう歴史を培ってきたアッシャー家では、何のためらいもないことであったのだろうし、古来からよくあることでもあったから、彼らにとっては自然の成り行きでもあったのだろう。

しかし彼らの・・・アッシャー家の不幸は、子供に恵まれないことと、彼ら兄妹自身が、近親婚のせいで、精神の病に冒されていたことだった。

それに加えて赤死病・・・チフスあるいは天然痘に感染したことが、この物語の結末となった。

友人はそのさなかに招待を受け、屋敷に向かいそこでしばらく滞在することになるが、この屋敷ではすべてが、死に向かって動いていることを知り、周りの環境も、何もかもが不気味に思えてくる。

妹をまだ息絶えてない間に棺桶に入れて蓋をし、穴倉に放置したが、息を吹き返し・・・復活し、棺桶から這い出て、兄の元へ行き、兄の手の中で息絶え、それを見た兄もほとんど同時に息絶えてしまうという下りは、友人も一緒に埋葬を手伝ったのだから、実に奇妙な話だから本当は、生き埋めではなく、「死者の復活」と解釈できよう。

この場合の死者の復活は、キリスト教的なそれではなく、ゾンビ・・・悪魔的復活なのかもしれない。

このポーの小説の深い内面には、キリスト教の精神、すなわち「近親婚」への穢思想のようなものが見え隠れする。

そして最後の物理的な屋敷の崩壊は、キリスト教の力によるものであり、おそらくキリスト教徒の友人の夢か幻影であるのだろう。

友人によって夢物語として語られた、アッシャー家に題をとった奇譚、キリスト教讃辞とも読めてくる。

そのことをさらに大胆に推し進めれば、キリスト教世界の礼賛であり、翻っては非キリスト教世界への悪魔的憧れなのだろう。

この矛盾こそが、ロマン主義的世紀末思想の断片である・・・そのように小生は解釈した。

この小説を題材とした、ドビュッシーの未完のオペラ。
いすれジックリ聞き込んでみることにしよう。

どのような曲想に仕上げたか興味は尽きない。

by noanoa1970 | 2009-10-23 14:13 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)