バナナボート

昨夜・・といっても今朝早く午前3時のこと、最近昼と夜とが逆転しがちで、なかなか寝付けないので、FM放送を聴きながら床に就いたのだが、気がつくと午前3時になり、ある音楽番組が始まった。

サブタイトルが「私のS盤アワー」だったから、懐かしく思い、つい聴き入ることになったのだった。

担当は1965年にヴィクターに入社し、西洋ポップス担当を長くやってきた石島もしくは牛島という人。

小生より6~7年歳上の先輩に当たる人だった。

その彼がヴィクターでプロモートした曲も含めた、懐かしきS盤・・・S盤はヴィクターレコード傘下の曲を集めて放送する音楽番組で、ちなみに、L盤はコロムビアレコードであった・・・をチョイスして流してくれた。

PFスローン、ゼーガーとエバンス、グラスルーツ、ヘドバとダヴィデ・・・ダヴィデは本当はデイヴィッドであったが、語呂がいいと彼がダヴィデとしたのが、全世界に広まったという、バリー・マクガイア(PFスローン提供の明日無き世界は、高石、RCがカヴァーした)、シルビーヴァルタン、ホセフェリシアーノ、ジェファーソンエアプレーン、ゲスフー、勿論プレスリーなどなどがかかって、そのうち、彼が最も影響を受けたという、高校生時代に聴いた曲を紹介した。

それがハリーベラフォンテで、彼が音楽業界に入るきっかけを作ったといっていた。

2曲チョイスし、1つが「バナナボート」もう一つが「さらばジャマイカ」、どちらも有名な曲で、小生も確かにこの曲は聴き覚えがある。

「バナナボート」はわが国でもかなり流行っていた覚えがあり、小生が小学校3・4年生のころではなかっただろうか。

周りでは皆が「イテーオ、イテテ・イテテ・イテテーオ・・・」と、歌の最初の部分を、耳で聴いたままに真似して歌ったものだった。

小生は少しひねくれていて、皆と一緒では我慢が出来なかったから、「コンミツァ・タリマン・タリミバナーナ」という個所を、「今月足りない、お金が無ーい」という替え歌にして、他の子供と一線を画していた。

京都の母方の実家に行ったとき、地蔵盆で集まりがあって、大学生のお兄さんと一緒にいろいろなゲームをして遊んだ時に、この替え歌を披露したら、そのお兄さんは目を丸くし、「凄い!」といって絶句したことがあった。

「さらばジャマイカ」は、記憶がハッキリしているのは、ハリーベラフォンテの歌ではなく、といってもメロディは頭に入っていたので、映画「007」の中で、ジェームスボンドがカリブの島で合い言葉のように歌うもの。(多分記憶に間違いないと思う)

作品名が記憶にないので調べると、『007ドクター・ノオ Dr.No』だと判明した。
(しかし、この中で歌われたかは、確認が取れてないので、間違いかもしれない)

小生のS盤アワーはというと、あえて挙げると、「ロネッツ」の「ビーマイベイビー」そして「シャングリラース」の「リーダーオブザパック」であろうか。


さて、「私のS盤アワーは、来週木曜日午前3時から2時間で、放送されるというから、次回も楽しみである。

そうなると、昼夜逆転がしばらく続いてほしいものだ。



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by noanoa1970 | 2009-10-23 10:01 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by K平 at 2009-10-23 20:57 x
バナナボートは 当時愛唱されてましたね。
私も子供の頃、聴こえるままに「デライ カムアンヒ ワンゴーホー」
と歌っていました。後のSANTANA「OYE COMO VA」を
皆 聴こえるままに 歌ったように。
当時は 英語でなく どこか南洋(カリブ海の概念は無く)の土人(差別用語でしょうが当時の表現として)の言葉と思っていました。後に 英語と知り 驚きでした。
歌詞を見ると 確かに英語なのに 得体の知れない言葉に
聴こえたから不思議です。自画自賛してはいけないのですが、
「DAYLIGHT COME AND HE WAN’ GO HOME」
に近い聴き取りをできたのは 子供だったせいでしょうか。 
カリプソではないけれど、トリニロペスも好きでした。
特に「罪な男(SINNER MAN)」が 愛聴盤でした。
Commented by noanoa1970 at 2009-10-23 21:33
子供が聞いた外国語の歌なんていうのを集めると、面白いかもしれませんね。きっと思いもよらぬように聞こえたことでしょうから、爆笑ネタがたくさん見つかるかも。「DAYLIGHT COME AND HE WAN’ GO HOME」は、小生も・・・デライカマンヒワンゴホーンと、ほぼ同じように聞こえたのですが、真似たことはありませんでした。