メンデルスゾーンの「賛歌」


なんといったらよいのだろう。
小生この曲を聴いたのは、そんなにも昔のことではなかった。
メンデルスゾーンに、このような合唱付きの交響曲があることを、ついぞ知らなかったというのが正直なところである。

最も音盤が出たのもそんなに昔のことではないし、演奏会でこの曲が取り上げられるようになったのも、最近のこと。

この楽曲自体も歴史の中に、相当埋もれていたようであるから、近年ようやくの認知といっても過言ではないだろう。

楽曲の解説自身は、ネット上に相当数あるから、参考にするとして、小生が驚いたのは、「賛歌」という通り、第2部の合唱とソロの部分の歌詞は、全編にわたりキリスト教賛美で埋め尽くされていることだ。

小生は、かねてからメンデルスゾーンにおけるアイデンティティの喪失・・・つまり、若い時期であったが、それまで彼はユダヤ民族の末裔という伝統と地脈の上に生きてきた。

祖父の考え方・・・キリスト教同化政策(ユダヤ啓蒙主義)に影響を受けたが、それに異を呈した父親によって、キリスト教プロテスタントに改宗させられた。

自ら進んで改宗したのではないことは、キリスト教洗礼名を名乗らず、メンデルスゾーンで通したことからも明らかだろう。

ドイツにおけるユダヤ人差別社会の真っただ中において、祖父はこの先の彼の生き方を、キリスト教徒として、ドイツの地域社会の中で、これまで培ってきた資本力だけでなく、地位や名誉という、普通の、そしてそれよりも少し上流のドイツ人として生きるように仕向けた。

しかしメンデルスゾーンは、彼の家が金持ちであるがゆえに、外なる差別と、内なる差別=同族間の差別を実感するようになったと思われる。

そしていくらキリスト教に改宗したとしても、「ユダヤ」の出自は隠せない。
だから、いつでもどこでも差別の目から逃れることはできないと知った。

おまけにお金持ちであるが故の、ユダヤ人としての誇りがそれを邪魔したのであった。

彼自身は、きっと同じユダヤ人でも改宗しなかったユダヤ人に、何かしら引け目を感じていたのではないだろうか。

この曲は、メンデルスゾーンが、ユダヤ人であることを自ら止揚した結果の音楽であるような記述が多いが、小生はそうではないように思っている。

以下に2部の合唱とソロで歌われる歌詞のポイントをチョイスしてみた。
2章から最終章の10章まで、全編キリスト教の賛辞で埋め尽くされているのが判る。

彼自身が聖書から抜粋したとされるから、意図あっての事であろう。

しかしこれだけ大仰な「やりすぎ」とまでいえそうな、キリスト教賛辞の意図は、一体何であっただろうか。

ユダヤ教とキリスト教は同属の宗教だから、両方の神をたたえる意図・・とも読める。

しかし小生は、ここにメンデルスゾーンの苦悩の痕跡を見てしまうのだ。

ユダヤ人でもない、そしてドイツ人でもない・・・自己アイデンティティを完全に失ったものが、苦悩の末に見出した光明。

それがこれでもかというキリスト賛辞だった。
彼はこの音楽を、自らの信仰告白の証として、ドイツ社会に問うたのである。
がしかし、この楽曲は彼の意図とは反対に、長い間受け入れらずに、歴史の中で埋もれ続けた。

ドイツ社会は、メンデルスゾーンをただの一度も、ドイツ人として、またキリスト教徒(改宗したキリスト教徒としか扱わなかった)として扱わなかったのだ。

これだけのことを音楽にして表現しても、尚、ドイツ社会の・・・ヨーロッパ社会のユダヤ人差別は、依然存在したのである。

こうしてメンデルスゾーンは、そのことを真に悟ることになったのではないのだろうか。

金持ちであるが、「根無し草」である存在。
外なる差別と内なる差別から、決して逃れられない運命。

メンデルスゾーンの音楽に去来するものは、純音楽的展開の合間にたびたび出現する、生きることの辛さ人生の暗闇である。

キリスト教の人類愛・救済は、メンデルスゾーンを決して解放しなかったのである。

信じたいが本当に信じてはいない・・・それがメンデルスゾーンの真実。
聖書の言葉の選定は、「かくありたい」「しかしそうはならない」とする、メンデルスゾーンの想いであったろう。

マズアとゲヴァントハウスの演奏は、かなり厳しい演奏。
反面、ペーターマーク盤は、慈愛に満ちた、優しい演奏である。
両極端の解釈が見られ、面白い。

第2章
息づくものはすべて、主をほめたたえよ
主の聖なる御名をほめよ

第3章
あなたたちは語り伝えなさい、
主によって救済されたことを

第4章
あなたたちが、主によってあらゆる苦悩から
解き放たれたことを語り伝えなさい

第5章
主に信頼する者は幸いです

第6章第7章
夜は過ぎ去って行く

第8章
神の称賛と栄光と賛美は
天なる至高の玉座にいます
父と子と聖霊にこそあります

第9章
あなたこそまことの神、まことの神よ
私はあなたの御名を呼ぶ

第10章
すべてのものは主に感謝せよ
主に謝し、その御名を崇め、
そして主の栄光を讃美せよ

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by noanoa1970 | 2009-10-15 16:09 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(3)

Commented by HABABI at 2009-10-17 13:40 x
sawyerさん、こんにちは
この曲や第5番「宗教改革」はあまり好んで聴くことはないのですが、聖書を題材としたメンデルスゾーンのオラトリオは違和感なく聴けます。宗教的題材を交響曲に持ち込んだ例に、マーラーの第2番や第8番もあり、第2番は好んで聴きますが、大規模な第8番はピンと来ませんね。マーラーも宗教に関してはメンデルスゾーンと似たところがあり、改宗と一言でいいますが、当人にしてみれば大変なことと思いますので、作曲にも影響が表れるのではないかと想像します。
Commented by noanoa1970 at 2009-10-17 17:07
HABABIさん
マーラーの言葉に、「三重の意味で、私には故郷がない。
オーストリアではボヘミア人として、ドイツではオーストリア人として、そしてこの世においてはユダヤ人として…」
・・・つまり帰属する社会的基盤が無い、根無し草であるというようなことを言っています。メンデルスゾーンの「聖パウロ」を指揮したことも興味深いことですし、また彼がカトリックへ改宗したことも、そして宗教音楽(そのもの)を書かなかったことも、何か意図的なものを感じます。「お金持ち」でなかったとしたら、メンデルスゾーンも、マーラーも多分この世には存在してなかったでしょう。何れの時代も、一般のユダヤ人にとっては、辛い時代だったようです。
Commented by noanoa1970 at 2009-10-17 17:20
ベートーヴェンの「運命の動機」で共通する音型を、メンデルスゾーンの「結婚行進曲」から交響曲5番の冒頭「葬送行進曲」にアレンジしたのも大変興味深いことです。