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死と乙女・・ドロルツ弦楽四重奏団で

今朝はシューベルトの弦楽四重奏盤の「死と乙女」を聴くことにした。

演奏は「ドロルツ弦楽四重奏団」で、このCDは、オイロディスクヴィンテージコレクション企画からのもの。
死の舞踏のような、骸骨と少女の対比の絵の入ったジャケットが無気味だ。
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カール・エンゲルのピアノを加えた、ピアノ5重奏「鱒」がカップリングされている、1960年および64年の、かなり古い録音である。

死と乙女は、かつてはウイーンコンツェルトハウスおよびアマデウス盤を聴いていたが、これらの演奏は、いずれもが厳しい演奏ではない。

放浪と死というテーマを、いつも背負っていたシューベルトの、最晩年のこの曲は、もう少し違う解釈があってしかるべきだろう。

しかし案の定、ドロルツの演奏も、先にあげた2つの演奏の解釈の枠からは、外れていないようだ。

かといって、現代的な四重奏団をチョイスするわけにもいかず、悩ましいところである。

ただ、この音楽は解釈のしようによって、「死への憧れ」・・・恐らく結核にでも冒され、死への扉が開いてしまった少女に、死神がやってきて、あの「魔王」のように、こっちにおいでと誘うもの。

初めは死の恐怖から、拒絶していた少女だったが、もう自分の命が現生には無いことを悟り、それならいっそう、死者となって、この世での苦しい生き方よりも、あの世での安らかな暮らしを選択してしまう。

少女にとって死とはもう恐怖ではなく、違う世界に行くための通過点である。
そんな死生観を持つにいたったとも考えられる。

2楽章は、そんな少女の死生観の変化の象徴でもあろう。

古い演奏録音の多くでは、そのあたりが聴きとれるようで、それはそれで好ましいことである。

現代人の死生観が表出されたような演奏で、思い当たる演奏家はあるが、小生はあえてそれを聴く気はない。

シューベルトの死生観とは、はたしてどのようなものであっただろうと、思いめぐらせるが、小生の仮説は、非キリスト教的な・・・すなわち「死と復活」ではなく、仏教的な「輪廻」のほうに近いのはというもの。

まだほんの仮説にしか過ぎないから、これから内容を詰めなければならないが、漠然とした死を相手にした考え方と、彼のように自分の命がいくばくもないことを知った人間では、やはり死生観、宗教観は、常人とは異なるのではないだろうか。

またシューベルトは、青年時代の初期から、「死」に関係する題材をたくさん使って音楽を書いてきた。

このことは彼自身の問題もさることながら、やはりアンビバレンツな状況に陥らざるを得ない何か・・・特に親子間、父親との問題は、「私の夢」と題された手記を見ても想像がつくこと。

夢とはまさしく現実であり、それは父と子の長年の葛藤と、父親の母親に対するひどい扱いであった、そのことは少年シューベルトのトラウマとなり、生涯続くことになったのだろう。

放浪・さすらいは、ここに恐らく原点が存在し、やがて来る死の悟りが、あてなく帰れるところもなく、かといって自ら死を選ぶ勇気もない、絶対的な苦しみのさすらいから解放されるのは、いつの間にか近いうちの「死」であり、それは安らぎで、憧れに変わっていった。

「死と乙女」の乙女は、シューベルト自身の投影と見ることができるのでは無いか。」

「私の夢」抜粋
「何年もの間、私は非常な苦しみと大きな愛に心が引き裂かれるのを感じていた。
・・・そこへ母の死の知らせがとどいた。
私は彼女を見るために家へ急ぎ、悲しみに心を和らげた父は私が家に入るのを拒まなかった。(今までは拒んでいた)
そこに私は母の亡骸(なきがら)を見た。
目から涙があふれ出た。」

「私が愛を歌いたいと思うとき、それは苦悩の歌となり、苦悩だけを歌おうと思うと、それは愛になった。」


シューベルトにとって、現世の絶望を唯一救済してくれるのが「死」であった。

そんな仮説を思いうかべながら、今朝はドロルツの演奏で「死と乙女」を聴いた。

by noanoa1970 | 2009-10-07 15:58 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(0)