メンデルスゾーンのスコットランド交響曲

この曲はメンデルスゾーンが、かの地を観光で訪問した時の印象に基づいて書かれたもの・・・「フィンガルの洞窟」も同じ部類に入る曲。

そのように長い間認識してきたが、最近知り合ったブログ主の、aostaさんから、この曲実はスコットランド女王、「メリースチュワート」を偲んで書かれたものだ、という説があることをご教示された。

そもそもの話は、かつてパーセルの「メアリー王女のための葬送行進曲」について書いたときに、「メアリー」という女王は、ブリテン諸島の歴史に複数登場するので、一体どの「メアリー」なのか、よくわからなかったが・・・という記述からのことだった。

スコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女メアリーのことで、ギーズ公は、サン=サーンスが世界初の、映画の劇番音楽として、「ギーズ公の暗殺」の音楽を作曲したことでも、歴史に詳しい方ならご存知の「ギーズ公」である。

フランス王妃となったメアリーは、イングランド王位継承権者とされる中、そのせいでエリザベス1世を激怒させた人でもある。

フランスとイギリスそしてスペインとの政治的駆け引きの真っただ中に生き、華々しい恋愛経験スキャンダル豊かな人でもあった。

メンデルスゾーンは、こんな歴史的な悲劇の女王を思慕したということなのだろうか。

小生はそのことが、音楽に表現されているのか否かということに、非常に興味があって、今朝も改めてこの曲を聴いているところ。

いつもはコンヴィチュニー指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団の古い演奏を好んで聴くのだが、今回は微細な表現も聞きとりたく思って、ペーター・マークの新盤を取り出した。

一方ネットで該当記事を検索してみると、メンデルスゾーン生誕200年ということもあってか、研専門の究者達そのほかによっての、かつてないほどの、詳細な成果の記述が散見された。

中に以下のような記述があり
「16世紀中頃に悲劇的な生涯を送ったスコットランド女王メアリ・スチュアートの居城ホリルード城を訪れたときにインスピレーションを得たものです」

メンデルスゾーンの手紙の内容があって、
「今日の夕方、ホリルードの古城に行きました。かつてメアリ女王が住み、恋をした場所です。メアリがスコットランド女王として冠を戴いた礼拝堂は、今は屋根もなく、草やカズラが生い茂ってすべて崩壊し、見る影もありません。私はこの古い礼拝堂の中で交響曲の冒頭を思いつきました。」

以上の記述があり、スコットランド旅行の際、メンデルスゾーンは、メアリーの居城を訪問し、そこで交響曲スコットランドのインスピレーションを得たということが判ったのだった。

メンデルスゾーンはスコットランドに逗留し、その自然にも多いに触れたらしく、以下のような手紙を両親に送ったという事も明らかになった。

「荒れ果てた農場・・・・私たちは暖炉の火のそばにゆったりと座り、スリッパの代わりにスコットランドの木靴をはいています。空には雲がうら寂しく流れています・・・・。風や雨の騒々しい音、酔っ払った召使たちの歌声、話し声、犬のほえる声、戸がバタンと閉まる音が聞こえるにもかかわらず・・・・静かです。静かで、荒涼としています。」

そして、メアリーの居城では・・・
「今日夕方おそく、私たちはメアリ女王が住み、また愛した宮殿に行きました。そこで見るべきものは回り階段を上ったところにある小さな部屋で、殺害者たちは階段を上っていって、その部屋でリツィオを見つけて彼を引き出し、そこから部屋を三つ隔てた薄暗い角で彼を殺したのでした」

「その横にある礼拝堂は今は屋根がなく、草や蔦が生い茂っていた。そこの壊れた祭壇の前でメアリはスコットランド女王として即位したのでした。あたりすべては壊れ、朽ちている。そうして明るい空が覗き込んでいる。私は今日ここで私の『スコットランド交響曲』の出始めを思いついたのです」

メンデルスゾーンがイギリスに渡ることにしたのは、自身の音楽を認知させたいということもあったのだろうが、・・・それはこの時期、真夏の夜の夢をイギリスで初演している事から亜もわかるというものだが、小生はそれだけではないものが、どうやら最初の計画からあったように思えてならない。

それは、ロマン主義の特徴の1つでもあった、「異郷、異教、異文化、異民族」に対する憧れ・・・すなわち自分の今の日常や環境に対する、何らかの不満やどうしようもなさ、といった感性から、と溶き離れたいという願望。

そのことは、先達のハイネが持っていた、非キリスト教世界への憧景やヘルダーが行った、異民族の古い民話の収集、ゲーテ、ヘーゲルからの影響、そしてかのベートーヴェンでさえも取り上げた、アイルランド、スコットランドの民謡、さらに先達のバッハ、ヘンデルのイギリスとの触れ合い・・・・

指揮者でも作曲家でもあり、裕福なユダヤ系の家に生まれたメンデルスゾーンには、海外の風に身をさらしてみるということは、他のそうした願望を持つ芸術家たちよりも、相当有利であったのだろう。

そして彼の裕福であるが故の、教養から推測すれば、音楽だけではなく、異文化異民族異宗教の土地の、歴史文化風土そして、勿論音楽的素材も含めた形での訪問を、最初から念頭に置いていたのではなかったろうか。

所謂「ケルト民族」の伝統文化の断片は、先ののヘルダー等によって伝えられていたから、興味を抱いて居たのだろうことは、「フィンガルの洞窟」を見てそれをモチーフに作曲したことからも、想像がつくこと。

悲劇の女王メアリーのこと、その面影が偲ばれる彼女の、かつての居城を訪問したことは、決して偶然ではなく意識してのことのように思えるのだ。

さてメアリーの居城を観たときに思いついたと、メンデルスゾーン自身の手紙にある、交響曲冒頭のフレーズ、そうとするならば、それがイングランド北部のメロディの引用であるか否か、興味を持って改めて聞きなおした。

スコティッシュやアイリッシュの古謡そのものとは言えないが、しかし最初の8つの音、音階的にはかなり近しいものであることを知ることとなって、自身の手紙の通り、それは言えるのではないかと気づかされた。

音楽はやがて、その主題が強く否定されるかのように展開していくことも、悲劇の女王メアリーと関係するのかもしれない。

ただイギリスの作曲と異なるのは、かなりモディファイしているから、意識して聴きこまないと、それとはわかりづらいこと。

そんなところにも、メンデルスゾーンのユダヤ人という出自からなのか、言いたいことを婉曲な表現に包んで、隠してしまう・・・わかる人にわかればいい・・・というところが見え隠れするようだ。

メンデルスゾーンが」ユダヤの家系であったこと、改宗しプロテスタントのクリスチャンとなったことは・・・それは一生背負うべきこととして、彼の心の中に存在し続けたものであろう。

そのことは、彼のカンタータとオラトリオのテーマの質的変化によってもわかる。

異郷への・・・特にケルトへの憧れは、そのような彼のユダヤ民族の出自であるというところから来ているのだろうし、ハイネの存在は、同族の改宗者として、特に身近に感じ、影響を受けたのかもしれない。
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by noanoa1970 | 2009-10-03 11:02 | 徒然の音楽エッセイ | Comments(2)

Commented by aosta at 2009-10-03 18:27 x
noanoaさん

お邪魔してびっくり!
最初のびっくりは「メンデルスゾーンのスコットランド交響曲」というブログ・タイトルでした。
先日、ふとした思いつきで書き込みましたコメントに対し、このように充実した記事にまとめてくださいまして、本当にありがとうございます。
特にロマン派という位置づけで解説いただきましたところなど非常に興味深くまた楽しく拝見いたしました。
異教、異郷へのあこがれ・・・
なるほどと、納得することしきりです。
Commented by aosta at 2009-10-03 18:30 x
またメンデルスゾーンの出自や改宗にまつわるいきさつなどは、私もnoanoaさん、
字数制限に引っかかってしまいました(笑)。

ユダヤ人がその宗教に固執し続けたのは、信仰に自らのアイデンティティーを見出していたからこそと思われます。ユダヤ人でありながらクリスチャンとなったメンデルスゾーンの場合、どのように折り合いをつけ、納得し、生きたのか。果たして世間はそうした彼を心底から受け入れていたのだろうか。メンデルスゾーンが裕福な銀行家一族であったことは、その「受け入れ」に何らかの影響を及ぼしたのだろうか、などなど、さまざまな疑問が湧いてまいります。メンデルスゾーンとて、改宗したからとのんきに構えていたとは思えません。聴く耳さえあれば、音楽の中にそれらの葛藤の痕跡を見出そうとする試みは正しい方法であるように思います。

また長くなりそうですので今日はこのあたりで失礼いたします。
最後にもう一度御礼を言わせていただきたく思います。
noanoaさん、本当にありがとうございました。